Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心は存続しようとする

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【はじめに】

ほいっ!
どうもおはようございます。
タクさんです。

元祖と本家ってありますよねー。
僕の好きな大福屋さんも、
なにやら、同じ店の名前でも
元祖と本家がありまして、どっちが本流なの?
っていうのがよくわからなかったりします。

ま、どちらも本流ということで良いんでしょうけどね。

我こそが本流なりー!ってね。
アピールしたい気持ちっていうのは、僕らの中にあるんでしょうねー。

でね。
僕らのストーリーもまた、自分にとって大事なものになっているもんです。
これは、自分が大切だからだと思います。

僕らが紡ぐストーリーは、自分が主役のストーリーですもんね。
だから、僕らの一番の関心ごとは、自分の人生ということになってくるんでしょうね。

 

【心は存続しようとする】

心というものは実は存在しておりません。
なんとなく、思考のことを心と呼んだり、感情のことを心と呼んだり、自分が信じている信条のことを心と呼んだり、またこれらがあわさっているものを心と呼んだりしているわけですね。
ちなみに、僕らのストーリー。これらもまた心ですね。
ある時は感情となり、またある時は思考となり、ストーリーが紡がれていきます。
明確なストーリーである場合もあれば、感情や感覚である場合もあります。

この心やストーリーはあるようにみえて、無いものなんです。
ただ、心は存続しようと踏ん張るんですよね。

心の中に自分があり、その自分を守るためには心が存続しなければならない。
心を失えば、何かが崩壊してしまう。
みたいなね。
なんかそんな思いを持っていたりするんです。

心と私もまた、同じものとして僕らは認識しております。
私がいなければ心はなく、心がなければ私もいないというわけですね。

心は思考でもあり感情でもあり信条でもあり、それでいて私そのものでもある。
って感じですねー。

このうちのどれが欠けても、それは自分の死ということになりますので、
心は必死に存続しようとするんですね。

【心の存続とはストーリーの継続】

心の存続とはストーリーの継続です。
つまり、あれこれとストーリーの燃料をずっと入れたがるんですね。
そうしないと死んでしまうって思ってますからねー。
ま、とはいえね。
実はそれほどずっと思考のストーリーにハマり続けているのか?
というとそうでもなくて、忘れてる時は結構ストーリーも止まってるんです。

ま、でも思い出すとやっぱり継続しようとするんですよね。

だから、なんとか非二元もストーリーの中に組み込もう組み込もう!
ってしちゃうんですよね。

だから、つまり非二元ってこういうこと?
ってね。
何かしらの概念に落とし込もうとしちゃうんですよねー。

そうやって落とし込めたら、その概念に沿ってまたストーリーを作れるわけですからね。

だから、「私はいない」をどう料理すればいいのか?
と混乱しちゃったりもするわけです。

中心に私というものがあって初めてストーリーはまわり始めますからねー。

 

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