Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

感情ちゃんを迎え入れてあげよう

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はじめに

いーつのことだか、
思いだしてごーらん。
あんなことこんなこと
あーったでしょーう。

ってね。
歌があるじゃないですか。
あれを卒園式の園児に歌わせるのって、
確実に親を泣かせに来てますよね。

子供のいない僕でも、泣いてしまうわ。

はい。
というわけで、おはようございます。
タクさんです。

みなさんにも、
もちろん、
いろんなことがあったんでしょうねぇ。

僕らってね。
いろんな事があったとき、
その詳細はもしかしたら結構忘れてしまっていたりもします。

ですがね。
感情が動いたとき、その感覚というのは覚えているもんなんですよね。

ことの詳細は忘れていても、その時に感じた心の感覚は忘れずに持っているんです。

そして、その感覚は似たような風景を感じた時に反応します。
その時に改めてこの感覚は思考を通して新たなストーリーを作りだすんです。

思考ちゃんが作るストーリーというのは、感情や感覚のつじつま合わせです。

ですから、感情や感覚にあったストーリーを作り出してくるんです。

だからこそ、僕らはこのストーリーに信憑性を感じるんですよね。

 

考え方を変えるのはムズい!

よく、考え方を変えたら良い。
嫌なことは考えないようにすればいい。

ってね。
簡単に言われちゃいますが、そういうのって難しいですよね。

これって、何が難しいのか?というと、
いいように考えよう!って思ったとしても、
感情のほうが納得してないからなんですね。

人間っていうのは、感情の生き物であって、
理屈の生き物ではないんです。

だから、理屈はそうでも感情が納得しなけりゃ、
そんなのは無理な話なんです。

感情には信念がある

感情にはね。
いわゆる信念があります。

そして、その信念が脅かされるとき、
強く反応するんです。

そして、その反応によってストーリーが作られます。
このストーリーに対してもまた感情が反応し、
そしてさらにストーリーが作られ、、、。
と連鎖します。

そして、感情はストーリーに置き換わってしまい、
僕らは、
このストーリーの方ばかりをみてしまうんです。

感情を観てあげる。
というのは、ストーリーをみることではありません。

この感情が持っている信念。
それを観てあげるんです。

そうか。悔しかったんだね。
悲しかったんだね。
怖かったんだね。
と言った感じでね。

そしてそれらの感情が起こるのは必然なんです。

感情ちゃんを迎え入れてあげる

必然である感情は、大体はそんな感情は起こるべきではない。
とされて、抑圧されたりします。

そして抑圧され、心の奥に押し込められていたりするわけなんです。

だから、こういった感情が起こったときは、その感情としては、
この反応を認め受け入れてもらいたい。
と願っているんです。

だから、感情を観てあげるときには、
ストーリーではなく、その感情が持つ信念を聞いてあげて、
そして、それをそのまんまいさせてあげることです。

思考はその意見には反対してきますけどね。
そこは聞く耳持たず、いさせてあげてください。

そうしてあげることで、感情は自身に聞き入れられたことでやっと安心できるんです。

感情ちゃんを迎え入れてあげること。
それは、そのまんまの自分でいいということを知ることであり、自分を許すということなんです。

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