はじめに
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
よくね。
「あの世に持っていけるものはない!」
みたいなことをいいますよねー。
ま、確かにいくらお金を稼いだとしてもそれをあの世に持ってはいけません。
僕らは裸で生まれて、裸で死んでいくんです。
なぜ生きている間に手に入れたものをあの世に持っていくことができないのか?
といいますと、結局のところ、実際には手に入れていないからなんですよね。
手に入れたと思い込んでいただけなんです。
お金だって、リスが支配する世界に行ったなら、何の役にも立ちません。
あの世界では木の実がものをいうんですからね。
これは、リスと人間では概念が違うということです。
そして、概念が変わると、役に立たないということは、持っているものは概念だったという訳ですねー。
ま、そもそも、生まれて死ぬというのも、これまた概念の一つなんですけどね。
キャンバスは真っ白だからこそ様々な色をつけることができる
僕らは何者でも無いものとして生まれ、そして何者でも無いものとして死んでいくわけです。
そしてね。
そのあいだだけ、何者かを演じることができるわけでございます。
何者でも無いからこそ、その真っ白いキャンバスに様々な色付けができるわけです。
そして、何者かを演じる訳ですねー。
この色付けの色の顔料は何で出来ているのか?というと、それはイマジネーションなんです。
だからこそ、自分の好きな色で色付けすることこそが人生をより楽しく味わう醍醐味でもあるんですねー。
あなたの好きな色は何色?
だからね。
嫌な色で染め上げてる場合じゃ無いんです。
自分は何色が好きなのか?
これをちゃんと知った上で、染め上げる遊びなんです。
この色付けはイマジネーションが顔料です。
だから、実態があるわけではありません。
好きに色付けして好きに演じればいいんです。
押し付けられた嫌な色を演じなければならないなんて法はありません。
おままごとで遊ぶ時もそうですよね。
みんな自分が嫌な役はやらないじゃ無いですか。
好きな役をやればイイんです。
今にくつろごう
そしてね。
どんな色で染め上げようが、どんな役割で遊ぼうが、
それはあくまでもイマジネーションに過ぎません。
イマジネーションが消えた時に残るもの。
それが「今」です。
僕らは、どこに行ってるつもりでも、それはあくまでも「つもり」です。
どうあっても、「今」からは逃れられないんです。
この逃れられない「今」こそが、何でも無いものなんです。
色づけされる前の真っ白なキャンバスです。
何でも無いこの「今」にだけ、至福があり安堵があるんです。
ですが、僕らはついつい、安堵や至福を求めるために色をつけようとしちゃうんですよね。
この色づけを諦めた時に、「何でも無い」を許し受け入れた時に、
この何でも無い「今」こそが至福であり安堵であったことを知るんです。
この安堵を心の片隅に感じながら、好きな色づけを遊べばいいんです。
そして、いつでもこの安堵に帰ってくるんです。この「今」はつねにここにあり、逃れることはできない代わりに、いつでも帰ってこれるんです。
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