Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考のリアル感から離れるコツ

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はじめに

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

まー僕らはいつも何かしらを認識しようとしています。

それはまるで、小鳥ちゃんが常に餌を探しているのに似てるなーって思います。

「あれはどうなってる?」
「これはなに?」
「あ、あの件はどうなってたっけ?」

てな具合にね。

僕らは1日のうちに膨大な量の認識をこなしているんです。

そして、認識したものに対してそれに名前というレッテルを貼ります。
この名前にはすべて意味・解釈がくっついており、
この解釈に、僕らは比較の物差しをあてるんです。

そして、これは好き。これは嫌い。
これは正しい。これは間違い。
と膨大な数の解釈をやっているわけですねー。

ちなみに、人の平均思考量は1日に7万回〜10万回だと言われています。

いやー。
エグい数ですよね。

そして、この思考の8割がネガティブな思考なんだそうです。

まー、それもそのはずで、僕らはうまく行っている事はもう「どうでもいい事」という引き出しにしまい込んでしまっているんですよね。

そして、わざわざどうでもいい事を考えようとはしないんです。

だから、無意識に思考に任せていると、どうしてもネガティブに傾きがちだったりするんです。

ま、そうやって、僕らは認識をして、名前というレッテルを貼り、比較をして、
いいか悪いかを決める。
これを繰り返して、頭の中で物語を展開させます。
これが、大体の僕らの現実となるわけです。

この現実というのは、まさに頭の中の物語。ストーリーであるという事ですね。

 

なぜストーリーを無視できないのか?

ま、僕らはそんなストーリーを現実としているわけなんですが、
やはりより濃くリアル感として迫ってくる感覚もまた、ネガティブなものになりがちなんです。
じゃあなぜ、このリアル感が漂うのか?というと、ここに死の恐怖が絡みついているからだったりするんですよね。
僕らが死の恐怖を感じる時は、どんな反応が起こるのかといいますと、
呼吸が浅くなったり、汗がにじみ出てきたり、体が震えたり、
胃が迫り上がってくる感覚がしたり、鼓動がはやくなったり、
みぞおちのあがりがキューッとなったり。
そういった反応が起こります。
そして、この感覚を受けて、
脳は、「これはなんとかしなければならない!さもなくば死んでしまう!」と死を避ける考えを巡らせ始めるんです。
そんな時は、より思考を高速回転しようとしますからねー。

ほら、
映像でもね。
コマ送りで流れていると、なんの現実感もないじゃないですか。
映像がスムーズに写るのは、高速で映像が移り変わっているからなんです。

それと同様に、思考も高速回転した方がリアルに感じるわけです。
そこに体の反応も加わるので、よりリアル感が演出されるわけです。

そして、僕らの恐れや不安もまた、この死の恐怖がきっかけになっているわけです。

焦らずゆっくりと

恐れや不安が起こった時、僕らはその不安によって巻き起こっているストーリーの中で、
どうにか問題を解決しようと焦ってしまいます。

でもねー。
まずは、体の反応に思考がジャックされている。
そこに気づいた方が近道なんです。

そして、この体の反応から癒してあげた方がいいんですよね。

臭いに対して、いくら対処したところで、臭いの元が解決してなければ、
意味がないのと一緒でね。

きゅっとせりあがったみぞおちの感覚をまずは癒してあげた方がいいんです。

高速回転している思考を、まずはゆっくりと構えてみる事で、落ち着かせて、
浅くなっている呼吸を、整えて、
そして、体の感覚を感じてあげて、ゆーっくりと元の状態に戻してあげる。

そうするとねー。
思考の勢いからもゆっくりと離れていくことができるんです。

そして、落ち着いたところで、できることを淡々とやるだけなんです。
思考からゆっくりと離れてみて、初めて僕らは、その思考をみることができるんです。

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