Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

感情をただ感じる

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【はじめに】

はい。
どうもおはようございます。

一日の中で一番のお気に入りタイムは寝入りばなのタクさんです。

みなさんのお気に入りタイムはいつでしょうか?

さてさて、
寝入りばなってねー。
なんであんなに気持ちいいんだろう?
って話なんですけどね〜。
やっぱり思考がぐんぐんと溶け出していくからじゃないでしょうかね〜。

ランナーズハイしかり、登山のハイ状態しかり、
やっぱり思考が起こせなくなり、なんでもない今に溶け出す感覚。
周りと一体になる感覚。
これがなんとも気持ちいいんだと思います。しらんけど。

ちなみに、この思考から解放されていく解放感は、
いつでもこの思考を置いておくことによって味わうことができます。

では、思考を置いておくにはどうしたら良いのか?
なんですが、
もう言葉をこれ以上紡がないということです。
思考は頭の中のおしゃべりそのものなんですね。
だから、頭の中で一旦黙ってみる。
というのが、思考を置いておくということなんです。

 

【感情とは反応である】

頭の中で黙るのも、なにか喋っているのを黙るのも、別に難しくないはずなんです。
だって、ただ黙ればいいだけですからね。
でもなぜこれが難しく感じるのか?というと、ここに感情が絡んでくるからなんですよね〜。
感情って、言葉だとどうにも心に属するモノのように感じますが、感情とは体の反応なんです。
そして、体の反応ってとってもリアルに感じるじゃないですか。
だって、ペチンって叩いたら、イタイですもんね。
これ以上のリアルさってありませんからねぇ。

この体の反応と思考がくっつくとその体の反応が感情として感じられるんです。

ただの体の反応だったら、ペチンって叩いてみても、最初はジンジンするかも知れませんが、次第におさまっていきます。

ですが、体の反応に思考がくっつくとその反応は思考が続く限り延々と続いてしまうんですよねー。

この反応がとってもリアルなので、思考のストーリーもまたリアルに感じてしまうということなんです。

【ただ観るとただ感じる】

そんな感情の対応法としては、ただ感じてあげてください。
って言われてたりもしますよね。
でも、僕らって、感情は思考とセットとなって感じているので、感じてあげなさいって言われると、思考とセットで感じ続けたりしちゃうんです。
すると、やっぱりいつまでたっても延々と繰り返されるので、
「え??ホントにコレでいいの??ずっとツライんですけど」
ってねー。
そう感じたりもするもんです。
まあでも、ずっと感じ続けるのってそれはそれで難しくって、そのうち飽きてくるんですよね。
そうなってくると、その感情は徐々におさまっていくんです。
感情も思考も働きなので、いずれは収まります。
投げたボールが延々と飛んでいくことがないのと同じような感じです。

だから、悲しいなら、どっぷり悲しみに浸っていれば次第におさまってはくるんです。
感情に良い感情も悪い感情もありませんからねー。
何かしらの感情を感じるなら、それを感じるときが今なんですよね。

ただ、思考とセットで感じるのではなく、感情が起こっている体の反応の部分。
思考は置いておいて、その反応だけをしっかりと感じてあげたほうが、より深くその感情を感じることができます。
そして、感情は感じてあげて、光を当ててあげることでおさまっていくんです。

思考はいたずらに感情を増幅させているだけなんですよね。

だから、ただ感じるには、思考は置いておいて、反応だけを味わってみるといいと思います♪

それが、感情に色を付けて感じるのではなく、ただ感じるということなんですね〜。

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