Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を変えたいと思ってるのは自分?

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はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
自分のことはお好きでしょうか?
まーねー。
好きって言いたいところだけど、
なかなか好きとも思えないよー。
って方もおられるかもしれませんね。

まー、それはきっと誰でもそうなんだと思います。

基本的に好きは好きでも、
やっぱりこんな自分はいやだー!
みたいな部分ってあると思うんですよね。

この
「こんな自分は嫌だー!」
が極まってくると、苦しかったりするんです。

逆に、嫌な部分も受け入れられてくると、とっても楽になってくるんですね。

 

判断基準に正しいも間違いもない

まーねー。
そうやって嫌だー!と思ってる判断基準がねー。
本当にそれ、真実なの??
って話だったりするんですけどね。

そっかー。
嫌だと思っている自分。
この嫌だというのは、間違った判断基準なのかー。
じゃあ、どう判断していったら良いんだろう?
って思ったりもするわけですが。

ま、判断基準に正しいも間違いもないわけです。

だから好きに選べば良いってことなんですが、
なかなかそれがうまくいかなかったりもするんですよね。

なんでうまくいかないのか?って言いますとねー。
もうすでに好きに選んでるからだったりするんですよね。
好きじゃなーい!って思ってても、それを選んでいるわけです。

君は変われるというパワーワード

「こんな自分は嫌だー!」
「もうこんな自分とはおさらばしたい!」

こういう願望って、きっと多くの人が持っているんだと思います。
歌の歌詞でも、君は変われる!みたいなフレーズはよく出てきますし、
広告なんかを見てても、この願望を刺激したものばっかりだし、
YouTubeやブログなんかでも、そんなテーマのものが多いですしね。

これって、いたちごっこのようなところもあって、
嫌なところをなんとか克服しても、また別の部分で
やっぱりもっとよくしたい自分。って出てくるもんなんですよね。

この願望はずっと続くものでもあるんです。

だから、
「君は簡単に変われる!」
「明日から変われるヒント!」

みたいなフレーズは人気コンテンツだったりするんです。

自分を変えたいと思ってるのは誰?

まー、そんななか、ええんやで。
変わっても変わらなくても。
何がどう変わろうが、変わらなかろうが、あなたの本質は影響を受けておりませんし、
ちゃんとここにありますんやでー。
みたなことを書いてるから、僕のブログはあんまり跳ねないのではなかろうか?
なんて思ったりもしますが、

でもね。
ちょっと考えてみると、

「こんな自分は嫌だー!」
「もうこんな自分とはおさらばしたい!」

って思ってるのは誰やねん?
って話なんですよね。

それも自分なんだとしたら、そもそも自分って何よ??
ってことなんです。

変えたい対象も自分なら、変えようとしている主体も自分。

え??なにそれ???
ってことですもんねー。

つまり、対象を自分だとしている錯覚が、何かを変えようとしているだけなんですよね。

この錯覚から目覚めましょ。って話なんです。
すると、特段、変えなくても良いじゃん!という気楽さがやってくるんです。

でもって、不思議なことに、変えたいのに変えられなかったこともスルッと変えられたりもするわけでして、この辺も気楽さがキーになってたりするんですけどね。

変わる!変わらない!っていうのも、なんていうかものすごく偏った物の見方からくる言葉であって、自分というのもまた、錯覚のような物ですのでね。

自分が変わる!なんてのは言葉の上でしかない実体のない呪文にすぎないモノだったりもするんですよねー。

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