Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自己承認は外に求めなくても良い

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はじめに

はいよー。
おはようございます。
タクさんです。
みなさん。
今日もイケイケでしょうか?

まー、僕はいうと、ちょっとダラダラしております。

ダラダラって素敵!
ダラダラ最高!

ってことでね。

ちょっとダラダラさせてもらってたんですけどねー。
もう、なんぼでも寝れるで!
という感じでございます。

さて、
僕らが、幸福感を感じる時ってねー。
だいたいどういう時か?
というと、
もうバチくそ自己承認できてる時。
だと思うんですよね。

メッチャ自己承認に溢れていたら、
あー幸せ!ワシってサイコー!

ってね。
なってると思うんです。

実はそれって、とっても簡単なことなんですよね。
ただ、簡単過ぎて物足りないっていうか、気付きにくいというのが、
ちょっと事をややこしくしておるんです。

 

自己承認は生まれつき備わっているもの

ちなみに、自己承認なんてものはね。
生まれつき備わってるものなんですよね。

赤ん坊が、
「私にはこれが足りない。もっと頑張って認めてもらわなえれば!」
なんて思わないですもんねぇ。

そもそも、足りないという概念を身につけないことには、
承認されたいという思いも出てきません。

そして、この足りないという概念は、
教わる過程で作り上げられる概念なんですねー。

元々ね。自己承認は備わっている。
でも、
この自己承認をなにやら、間違った条件で埋めようとするから、
承認されたいという思いに囚われちゃうわけです。

外に自己承認を求めることによって、自己承認欲が生まれた

この間違った条件というのが、
自分の内にあるものじゃなく、外に求めるということです。

そもそも、自分を承認するのに条件なんて存在しないはずなんですけどね。
条件によって自分を承認するという妙なクセがね。
自分は条件に沿うことによって承認されるんだ。
という概念を作り上げてしまうわけです。

この妙なクセというのは、

「あら、良い子ねー!」
「こら!悪い子ね!」

ってな感じでね。
繰り返し繰り返し、こうしたら良い子、こんなことしたら悪い子!
って言われ続け、
学生時代には膨大な条件づけを覚え、
社会に出ても勝ち組、負け組という言葉に踊らされることによって、
まるで、全人類が、催眠術にかかったかのようになってしまっているんです。

条件とは存在しない幻想

そうやって、刷り込まれ続けた条件。
この条件という幻想によって、
この条件にそわない自分はまるで
「足りない存在」
だという錯覚を植え付けられてしまうんです。

困ったことに、自分が足りない状態だという錯覚は、
生存本能にさえ影響を与えてしまいます。

だから、まるで、目に見えない危機が迫っているかのように、
しっかりと体の反応として危機が演出されてしまうんですよね。

これをこじらせてしまうと、
承認欲求の奴隷のようになってしまうんです。

SNSでやたらとマウントを取りたがるのもこじらせの一つだと言えるかもしれませんねー。

わざわざ承認なんてしなくてもよい

この催眠術から目覚めるためには、
ワシは何も持ってなくても良いんだ!
という事を知らなきゃなりません。

だから、わからないままにあってみる。
とか、
アホで良いんだよー!
みたいな事をねー。
このブログでも言っているわけですが、
条件付けに侵された思考はこれを決して認めてくれません。

なぜなら、思考と条件付けはセットになって働くものですからね。
条件付けを奪っちゃうと思考は働けなくなってしまうんです。

そんな思考の働きを、置いておく訓練が考えない練習だというわけでして、
瞑想とかマインドフルネスとか座禅とかね。
これ、全部一緒のことなんですけど、やってることは考えない練習をしているというわけです。

思考依存から抜け出す練習のようなものですね。
禁煙のようなものなんです。

ですが、禁煙とちょっと違うのは、思考は常に起こるものですのでねー。
それを否定するものでもないんですよね。
ちょっとややこしいですね。
ですが、ややこしいのも思考の中だけのことなんです。
本来はややこしいこともないんですねー。

というわけで、また明日!

 

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