Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無価値感は錯覚です

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
お元気ですか??

やっぱりねぇ。
元気であることは良いですよね〜。
疲れてると、やっぱり嫌なこと考えちゃったりもしますからね。
ちゃんと自分なりのリラクゼーションをしたり、
身の回りにテンションが上がるものを配置したりすると良いと思います。

僕も、仕事机の横と後ろには好きな魚の水槽を配置してそれを見ては癒やされております。
ただ、お魚は定期的に病気になっちゃったりするので、その時は様子が気になってしょうがなくなったりするんですけどね。

身の回りの好きなものには匂いも含まれます。
最近の僕のお気に入りはヒノキの香りでございます。

みなさんのお好きな匂いは何でしょうか??

 

思考は後付けで納得する答えを持ってくるもの

思考ってね。
つねに、今の状態を納得する形でストーリー化するような働きです。
なのでね。
ついつい、疲れているときって、変な話、
「自分の価値が低いんだ。」
みたいな判断を持ってきたりもするんですよね。

疲れている自分って、やっぱりしんどいじゃないですか。
しんどいのって思考ちゃんは良くないと判断するんですよね。
そうなると、自分がやっていること。自分が持っているものさえも、
なんだか、価値がないものである。みたいなね。
そんな変な妄想を持ってくることがあるんですよ。

何かに突き進んでいて、一時的な疲れなら良いんですけどね。
慢性的な疲れを感じていたりすると、特にそんな妄想が起こることがあります。

ま、必ずではないんですけどね。

無価値感は錯覚です

でも、それは妄想ですからね。思考は時にそういうバグのような働きをすることがあるんです。

ですので、
私がやっていること。
私が持っている能力。

そんなのが、無価値に思えるようなことがあれば、
これは完全なる妄想です。

そんな妄想が起こるのなら、
もしかしたら、ちょっと隠れた疲れがあるのかもしれません。

そこでまず大事なのは、自分の能力ややっていることに対して、価値の差なんてものは無いということ。
これを思い出してほしいんですよね。

思考って理屈付けが上手ですから、どうしても自分の能力や、やっていることがつまらないことであるという理由を色々と持ってくるかもしれませんが、それもすべて幻想なんです。

焦った時はひとやすみ

まあとはいえね。
ずっと元気じゃなきゃいけない!ということでもありません。
生きてりゃ、ちゃんと元気なときと疲れるときがやってきてくれるものですからね。

なので、疲れてるときには、疲れてると一緒に、淡々とやっていけば良いんです。
できるなら、ペースを緩めて、ゆるりゆるりとね。

常に元気!は土台無理な話です。

それが可能なら、全力疾走しながらマラソンで42.195kmを疾走できるっていう理屈と一緒ですからねぇ。

んなもん無理に決まってるんです。

それは、心模様も同じでね。
不安や恐怖や怒りというものが起こることもあって当然なんです。
悲しいことだって絶対に起こってきますからね。

それが起こるのが悪いってことじゃありません。
それはそれで、起こって良いことなんです。

別に、それがなにか悪いものを連れてくるわけじゃありませんからね。

ちゃんと必然的に、そういう心模様も起こるべくして起こるわけです。

ですが、後付される思考ちゃんはそれを大げさな幻想として、
「このままじゃ、ヤバイよヤバいよぉ〜」
って言ってくるかもしれません。

こいつがまあ、完全な幻想なんですけどね。

その幻想もまた、通常運転通り、ただ後付けで演出しているだけですのでね。

こういう時はこういう幻想が起こるもんだよね〜。
ってね。淡々と見ていれば良いんです。

幻想を真実だと捉えちゃうから変に焦ったりするんですよね。

焦ってるな〜と感じたなら、
慌てずに、ひとやすみです。
ゆったりと、サボってやりましょう。

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