はじめに
はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
人生には、3つの坂がありますー。
一つ目の坂は、登り坂。
二つ目の坂は、下り坂。
そして、
三つ目の坂がぁぁぁーーーー。
マサカ!でございます。
ってねー。
結構式の挨拶の3つの袋とはる定番のお話なんですけどねー。
ま、これを言っちゃあおしまいなんですが、
実際に人生に坂はありませんよね。
これは例え話でございます。
そもそも人生に坂もなければ道もありません。
これってねぇ。
当たり前ですよねー。
これは例え話だというのは周知のことなんですけどね。
でも僕らはなぜか、人生とは道である!なんていうねー。
そういうファンタジーがまことしやかに信じられていたりするんです。
レールから外れる?
ドロップアウトとか、レールから外れたとかいいますもんね。
これももちろん単なる例え話であり、身も蓋もない話なんです。
なんやねんそのレールって?
って話なんですよ。
そのレールを見たことがある人なんていないんですね。
これはもう幽霊以上に信憑性のない話なんです。
レールから外れるとか、そういう話ってオカルトそのものなんです。
ああ、出世レースから外れてしまった!
ああ、この年まで結婚できなかった!
ああ、志望校に落ちてしまった!
みたいなね。
まるで、道から外れたような思いってね。
ぜーんぶオカルトなんです。
道なんてありません。
だからね。
レールもないし道もありませんから、あなたは決して道から外れることはありません。
なので、安心してあなたらしさをガンガン表現すれば良いんです。
あなたの喜びを表現すれば良いんです。
あなたの喜びを感じることで、あなたの周りの人もまた喜びに包まれますからねー。
運命論
運命とかいったものもねー。
なんていうか、物語の中にしか出てこないものでございます。
頭の中の物語です。
この物語なしには運命という概念は成り立たないんですね。
何かしらの物差し、線引きがあって初めて成り立つのが、
運命論ということになりますからねー。
線引きがあって成り立つということはつまり、ルールによって成り立つということでもあるんですけどね。
ということは、遊びと同じようなものとも言えます。
なのでねー。
何かあったとしても
これはきっと良いことがあるかも!みたいにね。楽しげに遊べば良いんです。
運命に恐怖したり、
ああ!これは何か嫌な予兆だろうか!
なーんてね。
そうやって操られるというのは、ゲームに自分が支配されるようなものですからねー。
ま、楽しけりゃそれでも良いんですけどね。
道無き道こそ真の道
僕らは何かを捉えるとき、どうしてもその見方や捉え方をかたよらせなければなりません。
かたよった見方によって、内と外が現れているんですよね。
僕らはぼーっと、どこにも焦点を当てずに前を見ていると、それって何も見えませんよねぇ。
何かに焦点を当てることで初めてものが見えます。
この焦点を当てるというのが、実はありもしない境界線を作るということにもなるんですねー。
この境界線は、ありもしない概念を当てはめることで作られます。
そうやってあらゆる概念をいろんなものに当てはめることによって、
僕らはいつの間にか、目の前のものを見ているつもりが、概念の方を見てしまっているわけです。
道も同様です。
これが正しい道。道を外れると間違っていることになる。
という概念はいつしか、自分が何かうまくいかない時に、どこで道を間違えたのだろうか?
なんてことを考えちゃったりするんですねー。
そして、あの時に戻りたい!なんて思ったりもするんです。
実際に、道なんてありもしないのにねー。
ま、そういうわけで、道なんてありませんのでね。
これは、言い換えれば道無き道こそ真の道!ということなのかしれませんね!
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