Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

夢も現実も同じもの?というおはなし

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らが寝ている間にみる夢と
いわゆる願望や希望という意味の夢ってね。

同じ言葉が充てられていますよね。

これ、日本だけじゃなくて、結構いろんな言語でも、
同じような言葉が充てられているんですよね〜。

なんでなんでしょうかね?
いろんな説はあるようですけど、
ただ、願望や希望っていうのも、寝ている間に見る夢というのも、
思考のイメージ、つまりは幻想のようなものであるという部分では共通しておりますので、
そういうところから、同じ言葉になってるんじゃないかな〜ってな想像はできます。

つまりは、実際に目の前にあるわけではない。
ということですね。

頭の中のイメージ。
それが夢だというわけです。

ちなみに、目が覚めて起きている間にある頭の中のイメージについては、
夢ではなく、現実であり事実であるっていうことになっているわけです。

なっているというのは、あくまでも「僕らの中だけでは、、、」ってことなんですけどね。

 

夢と現実は同じもの

僕らが普段現実だとしているもの。
これが夢だと言われても、ピンとこないというご意見はものすごくたくさんいただきます。
ま、それは、当然といえば当然でして、
なぜなら、「現実としているから」なんですね。
そもそも現実とは真実ではありません。
現実というものはある種のルールの上に乗っかっていて、そのルールが共有されることで成り立っている概念なんです。

たとえば、僕たちは日本という国に住んでいますよね?
これは、日本という概念を共有しているので、日本という国に住んでいるという現実が存在できているということです。

あ、実際には無いんですよ。日本もアメリカも中国もね。

ルールというものは、そのルールを共有している人たちの中だけで機能するものですのでね。
この現実は、日本という国を聞いたこともない、見たこともない。そもそも国という概念すら無い。
という人の中では、通用しないんです。

これはまさに、おままごとは、おままごとのルールを共有している人たちの中だけで存在できるものである。
ということです。

僕らは同じイメージを共有することで現実という概念を作っているに過ぎないわけです。
これは寝てる間に一人で夢を見るか?みんなで夢を見るか?くらいに違いしか無くて、幻想のイメージを見ているという点では同じなんです。

ルールはルール、それ以上でもそれ以下でもない

とはいえね。
僕らは、日本人であるというルールを外れるわけにはいきませんよね。
「これはルールであり真実ではないんだ〜!」
「日本なんて国は本当は存在しないんだ〜!」と叫んだところでどうしようもありません。
「あ〜。あの人、とうとう気が触れたか、、、」
と思われるのがオチですからね〜。
(まあそれはそれで面白いんですけどね♪)

ただ、別にルール内で真実に拘る必要もなければ、これはルールなんだ〜!と叫ぶ必要もありません。
そして、ルールに逆らう必要すらないんです。
だって、たかがルールですからね。

なので、今まで通り、普通にルールに則っていれば良いわけです。
どーしても日本人であることに違和感を感じているのなら、国籍を変えても良いわけですしね。
そのために出来ることだけやれば良いわけです。

共有に真実性はない

また僕らは、
ほら!あそこに富士山みえるでしょ!だから富士山はあるじゃない!
みんなも富士山あるって言ってるし。

ってな感じでね。
共有されていることに関しては真実味を感じるんですよね。

でもこの富士山は、ただの土の盛り上がりに過ぎないわけですし、
はたまた、今見ている世界、あらゆる色彩も僕ら人間だけが捉えてる世界でして、
他の生物から見た世界はまた全然違うものなんですよね。

そして、共有のなかに真実があるわけじゃなく、
共有の中には、共有されたルール上の現実と呼んでいるもの。
つまりは概念しか存在しないというわけです。

ルールに力はない

僕らはこのルールを実体以上に大きく見すぎているんですよね。
そして、このルールはいともカンタンに自分を押しつぶしてしまうほどの力があるかのように感じているんです。
実際にルールにはなんの力も無いんですけどね。
そして、このルールに抗うにはどうしたら良いのか?と思ったりするのもまた、
ルールに大きな力があると錯覚しているからなんです。

ルールをルールとして見据えたなら、ルールに力がないことは明らかになります。
あると思われていた大きな力はむしろ自分の力だったんですよね。

となると、何かが変わることは無いんですが、少しずつお気楽になってくるんです。
僕らが不必要な深刻さにまとわりつかれていた原因はルールによるものだったんですよね。

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