Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

手に入れてきたものを、注意深く剥いていく

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はじめに

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

運命はあるのかないのか?
宿命はあるのかないのか?

みたいなねー。

運命論、宿命論みたいなものってありますよねー。

ま、そういう意味で言うと、
僕らは思考によって世界観を作る能力を持っている。
ということがねー。
もしかすると宿命なのかもしれませんねー。

そもそも、この能力が運命とか宿命という観念を作り出しておりますからね。

ま、というわけで、
運命も宿命も観念なんですけどね。

でももし、これが宿命だな〜ということがあるのだとすれば、
僕らが持っているこの思考という能力。
この能力というのは、世界観をつくり、それを共有することができるという力がありますのでねー、この能力があることによって、僕らは文化を作り、そしてこうあるべきを作り、
そして、この文化やあるべきに上手く馴染むにはっ!みたいなね。
教育ができたわけしてねー。

そして、僕らは最初にいろいろと教育されるわけですね。

 

レールに乗せられる宿命

でねー。
ほら、あなたも僕も、子供の時ってねぇ。
純粋ですからね。
なんぼでも、どんなものでも受け入れてきちゃうわけですよねー。

「こら!こんなことしたらダメよ!」
「もっとこんな風になりなさい!」

って言われちゃうと、素直にそうなんだ!ってね。
思っちゃうわけですよ。

そしてねー。
僕らが作っている仮想世界での成功。良いと言われているもの。
ここを目指しちゃうっていうね。

上手く行ったり行かなかったりしながらね、そこを目指すわけですよね。

ま、この仕組みというかレールに一度は乗せられてしまう。
乗せようとされてしまう。

ここはねー。
ある種の宿命なのかもしれませんね。

成功と失敗という観念

ま、そんなわけで、
こうなれば成功。
こうなったら失敗。
っていうね。
いわゆる烙印を押されてしまい、
その山に登らされてしまうんですよねー。
そしてこの山登りで、
僕らは成功したり失敗したりするわけです。

でも、成功したとしてもやっぱり心からの満足は得られなかったり、
また、失敗して、自分はいったいなんのために生まれてきたのだろうか?
ってねー。
悩んだりするわけですよね。

そんな時、
あれれれ???この道で良かったの??もしかして違うんじゃないのん?
ってねー。
そんな気づきもあったりしてね。
真理の探究みたいな道に進む方もおられるんじゃないのかな?
って思います。
特に、このブログってね。
特に、宣伝もしておりませんので、ここに辿りつく方は、なにかしら自力でたどり着いていただいた方ですのでねー。
そういう方も多いと思います。

登り坂は下り坂。下り坂は登り坂。

登り坂だと思っていたこの道が実は下り坂で、下り坂だと思って見下していた道が実は登り坂だった。
みたいなね。
そんなことがあるんです。
僕らは、何かを理解し何かを身につけ、そうすることによって成長する。
こんな道筋を用意され、その道を歩んできたわけですけどね。
だから、何事に対しても、どう理解すればいいのか?ということを探し求めてきたわけです。

だから、何かを手に入れれば手に入れるほど成功し、幸せになるって思ったりして、
そこを目指していくわけですが、手に入れれば入れるほど不自由になったりしてね。
そこに真の幸せがないと知った時、道を見失っちゃうわけですね〜。
そんなときは、今まで身につけてきたもの。
この「観念」を、丁寧に剥がして行かなきゃなりません。
まるで、ものすごく注意深く、そして丁寧に玉ねぎの皮を剥いていくかのようにねー。
そして、玉ねぎの皮を全て向いた時、手元には何も残らないんです。

手に入れたもの。これを剥がしていくってねぇ。一見下り坂のように見えるかもしれません。

そして、「なんにもなさ」というものは、なんの価値もないように見えるかもしれません。

ですが、この価値の有無。ここから目覚めた時、
この何にもなさの中に、全てが在ったんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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