Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心は持ち運ぶことはできません。

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はじめに

はい。
おはようございます。
タクさんです。

皆さんはどのような
ノーミュージック、ノーライフをお過ごしでしょうか?

なんだろ〜。
僕はと言えば、
音楽を聴くのが手軽になればなるほど、
あまり聴かなくなっちゃいました。
それでもたまには聴きますけどねー。

常に、イヤホンは耳に付けていますが、
外で聴くのは大体は、人が話している音声コンテンツがメインになっちゃいました。

僕が学生の頃は
カセットテープで聴くウォークマンが全盛期だったんですけどね。
その時は曲の頭出しもあまり便利にはできませんでしたのでねー。
通しで聴いていて、あ、次の次の曲は、ワシが好きな曲や!
とか思いながら聴いたり、
この曲よく聴くと、良い歌だなぁ。
とノーマークだった曲が不意にマイブームになったりして、
これはこれでよかったんですよね。

ただ、アップルのiPodが出た時はちょっと興奮しましたねー。

「1000曲をポケットに」
これは、アップルのiPodが発売されたときのキャッチコピーです。

むほー!1000曲も持ち歩けるんかいな!
えらいこっちゃ!
ってなりましたもんねー。

 

音楽は持ち運べない

ま、そんなわけで、今はスマホで聴きたい曲は大体聴けちゃうわけですがねー。
音楽って厳密には持ち運んだりできませんよね。

僕らは曲を持ち運んでいる気にはなっていますが、
持ち運んではいません。

なぜなら、音楽はモノではありませんからね。
音ですもんね。

音とは空気の振動です。
風のようなモノなんです。

風を持ち運ぶって変な話ですもんね〜。

風は「働き」ですので、持ったり、取っておくことはできないんです。

・心もまた、持ち運ぶことはできない
ちなみに、僕らの心もまた、音楽のようなものと一緒なんです。
歌は自分で歌っている間だけ、そのメロディーが起こっていますよね。
それと一緒で、心も、その心のイメージが働いている間だけ起こっているものなんです。

だから、持ち運んだり、取っておくことはできません。

なのに、なぜか僕らは、心を持っているような錯覚をしているんですよね。
そして、この心を手に入れたいと望んだり、手放したいと望むんです。

取っておくことができないものを、取っておこうとする思いは、
当然のことながら、思い通りにはいきません。

たまに、思い通りになってるように思うかも知れませんが、
それは、たんに思い通りのメロディーが流れているだけなんですね。

ですが、僕らはこの状態を維持したいと願ったりするわけです。

悩むことに悩まなくて良い

状態を維持したいという思いは、思い通りにいきません。

なぜなら、状態や働きは固定されることはないからです。

なので、そういう願いや思いは、もちろん思い通りにはいきません。
つまり、思いって思い通りになったり、ならなかったりするのが当たり前なんです。
それはまさにサイコロを振るのと同じことです。
でも、僕らは、思いに正しさと間違いというレッテルを貼っちゃうのでね。

思い通りにならないことを間違いだと皆したりします。
そしてこの間違いを恐れちゃうんです。

だから、思い通りに行かないことに悩みますし、
今後思い通りにならなかったらどうしよう?と恐れるんです。

でもねー。そう思っちゃうのもまた、思いという働きの特性でもあるので、
この思いの仕組みにさえ、悩まなくても良いんです。

変な話ですが、悩むことに悩まなくて良いんです。

良いや悪いは存在しない

オーケストラの様々な音色に、良いと悪いという分類をしていると、
オーケストラそのものを楽しむことはできず、良いと悪いがランダムにやってきます。
じゃあ、プラス思考だ!ということで、音色の良いを増やしたとしても、
結局一緒ジャーンってなっちゃうわけです。

でも、良いも悪いもない。だから良くても良いし悪くても良い!
変な話、悪いを悪い!と思って良い!

ってねー。
そんなカラクリが見抜かれていけば行くほどに、
目の前の奇跡のオーケストラは、その奇跡を直に聴かせてくれるんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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