Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生は絵柄が変わる金太郎飴

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

いやー、最近、金太郎飴食べてないなー。
みなさん、食べました?

ちなみに、ボンタンアメってあるじゃないですか。
あれって僕の記憶の中では、ハイチュウのようなイメージがあったんですけどねー。
久しぶりに食べて見たら、なんか餅って感じでした。

あれー?こんなに餅っぽかったっけ?
って感じです。

金太郎飴も久しぶりに食べたら、あれー?こんな感じだったっけ?
ってなるんでしょうかねー?

 

比較のクセ

まーねー。
僕らの人生はねー。
絵柄が変わる金太郎飴みたいなもんだと思うんですよ。

笑い顔だったり、ドヤ顔だったり、
でも、時には怒り顔だったり不安な顔だったりねー。

常に、絵柄が変わる金太郎飴です。
常に変わるので、別に今の絵柄にそれほど執着しなくてもいいんですけよね。

でも、ついつい僕らは、今の自分の絵柄を他人の絵柄と比べてしまうんですよねー。

あの人はあんなに輝いた表情をしているのに、なんで自分の絵柄はこんななんだ!
ってな感じでねー。

でも、みーんな常に絵柄が変わるということにおいては一緒なんです。

たまたま、自分が不安な時に、安心な人を探しては比べちゃうんですよねー。

僕らは、何かを掴み取るために、比較の概念を使いますのでね。
どうしても、反対の絵柄を持ってきて比べちゃうんですよね。

隣の芝が青いと感じる時は、自分の芝に満足していない時だけだったりするんです。

本当に自分の芝に満足している時は、わざわざ隣の芝と比べません。
その必要性がないからなんです。

でもね。
満足していても、していなくても、比べる必要性がないということは変わらないんですよね。

絵柄の正体は考えです。

人生とは考えそのものです。
つまり思考ですね。

考えたもので僕らの人生ってできているんです。

コロコロと変わる絵柄。
これも思考なんですね。

だから、コロコロと変わるんです。

女心と秋の空。
なんて言葉があるように、コロコロと変わるもの。
この心こそ思考なんです。

ちなみに、
男心と秋の空という言葉もあります。

男女共に、心模様は秋の空のようなものだと、喩えられているんですねー。

心、つまり考えや思考なんてものは、みーんなコロコロと変わるものなんです。

常に変わるものだから、変わるのが正解

ま、そんなわけで、心や気持ち、考えや起こってくる思考なんてものは、
常に変わるのが正解なんです。

それをどうにかいい感じの状態を維持しようとしちゃうから、
思い通りに行かない!という思いに悩んじゃったりするんです。

変わって正解なんです。
しかもね。思いに実体はありませんからねー。
殴りかかってきたりはしないので、どんな思いが起こっていても大丈夫なんです。

僕らは、絵柄、つまり起こっている思考に悩まされていると思いがちですが、
思考は無害なんですよね。

ただ、これをどうにかしようとする時に、思い通りに行かない!ということで悩むわけです。
起こってくる思いをどうにかすることはできません。
だって常に変わるものですからねー。
だから、それでいいんですよね。

なーんだ。それで良かったのかー!
って気付いちゃうとね。

思いに対して、思い通りに行かなくて悩む。
っていうねー。

どうにも訳のわからないことをしていた自分に気づくんです。

そして、思い通りに行かないことを思い通りにしよう!という思いもね。
これもまた、一つの絵柄なんだねーって知った時。
本当にどこにも行かなくて良かったんじゃーん!
ということも知るんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

 

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