Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我ちゃんへの感謝

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ハンカチ持った?
ティッシュは??
ちゃんと時計持ってる?
電話番号メモしてる?
歯は磨いた?
あ、ちょっとまって、
このサプリメント飲んでおきなさい。
あと、トイレは大丈夫?
ホントに??

と、いうわけで、
ヘイヘイヘーイ♪
おはようございます。
タクさんです。

皆さん。
今日も素敵な朝をお迎えでしょうか?

朝起きるなり、
ちゃーんと、
ドドーンと重さを感じたりしてますでしょうか?

してるなら、バッチオッケー!です。

朝から爽快で重さなんて無ーいというかたも、
もちろん当然オッケー!です。

 

さて、冒頭のお節介さんシーンですが、
僕は子供の頃はガチで
「亀は置いていきなさい!」
と言われてた派です。

こういったお節介さんですけどね。
皆さん自身の心の中にもいてはるんじゃ無いかなぁー?って思います。
そんなお節介さん。
うるさいなぁって、邪険にしたくもなったりしますし、
逆にお節介を深刻に受け入れるとこれまた心配事が、後を絶たずひっきりなしになってしまったりもしますよねー。

ちなみにこのお節介さんを自分だと思っていたら、
なんとかしてこの心配性を直そう直そうとしてしまったりします。

でも、こいつは自分じゃないんですよね。
なので、直そうとしても直らないんですよ。

例えば、どっテーンと転んで怪我をしたとしますよねぇ。
怪我をした擦り傷はカサブタになって、そのうち治ってきますよね。
そして、同じようなこけ方をしないように今後注意するようになりますでしょ?
誰かがすると言うよりは、大概これらって自動的にそうなるんです。

よし、そろそろ頃合いかな?
とか言ってカサブタを作ったりしてる人いてませんもんね。

注意するようになるのもね。カサブタと同じような本能的な働きなんですよね。
そして、この働きは自分ではありません。

この働きはひっきりなしに注意喚起するのがお仕事なんですよね。

なので、直そうとしてこの働きを押し込めようとしたり、
カルマだっ!とか言ってワルモノ扱いしたりすることは、
結局、自分では無い何かしらの働きを自分だとしていると同時に、
その自分をぺチッペチって攻撃していることにもなったりするんですよね。

自分というものを作って、それにムチ打つってねぇ。
何プレイやねん!って話なんですよ。

ただ、このお節介さんはね。
1のことを(ホントはゼロなんですが、、)5にも10にも膨らませるんですよねー。
なんでも大ごとにするんです。

抑え込めば抑え込むほど、声を大きくしていきます。

聞くまでやめへんデェー!ってしつこく言ってきよるんですよねー。

聞いてもらうのが目的ですのでね。
いくらでもゆーたるでー!てなもんです。

で、どんどんストーリーも膨らませていくので、いつの間にか頭の中に展開されるストーリーにドーンと入っちゃうんですねー。

もしね。
朝でもいつでも良いんですけど、
重た〜い何とも言えない不安感とかがあったのだとしたら、
お節介さんが何かを言ってるんです。

そんなお節介さんには、まずはちゃんとお仕事をしてくれていることの関して、
感謝を届けてあげてください。

するとね。
お節介さんも声が届いたと感じるので、声は大きくなりません。

まだ重たかったら、
感謝とともに愛でてあげたら良いんです。

すると不思議なことに、こんなお節介さんである不安感も、とっても愛らしい相棒だったんだと気づいてきます。

その気づきとともに、そこに貼っついていた自分という観念も剥がれていってくれるんです。

それは主体じゃなく、対象だったことに気づくんです。
なので、いつもお節介してるのに邪魔者にされててかわいそうでもあるお節介さんに気づいたら、思いっきり感謝して愛でてあげてくださいね。

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