Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心配をスルーすることを自分に許してあげる

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はい。
おはようございます。

大人になってしまったので、
しばらく遠足というのを経験していない
タクさんです。

ひっさしぶりに遠足してみたいですねー。

やっぱり、遠足の醍醐味というのは、
準備ですよね。

友達みんなで、500円分のお菓子を買いに行く時が、
いっちゃん楽しかったのを覚えてます。

遠足当日のことは、いまいち覚えてませんもんねー。
弁当食べてる時くらいかな??
思い出す風景は。
あとは、ジューシーをこっそり食べる楽しみかな。

と、いうわけで、
みなさんはどのような遠足ライフをエンジョイされてきましたでしょうか??

ま、
今日は、遠足の話ではなくて、
準備について書いてみたいと思います。

準備というのは、そりゃまあ、それなりに大切なものではあると思うんですが、
どうも、準備が過大評価されすぎとるんじゃなかろうか?
なんてことも思ったりしますのでねー。

ちょっと一発かいておいてやらにゃいかん!
というわけでねー。

 

さてさて、
僕らの思考は、あらゆることに準備をしておこうとする働きがあります。
そして、その準備ができていないことに対しては、
結構大きな危険信号を発します。

老後の生活が〜!!!
とかいって、大騒ぎされるのも、
この危険信号を僕らが感じるからなんですよね。

ですが、準備というのは、正直キリがないものでもあります。
んなもん、ほどほどで良いですし、できる範囲で良いんですよね。
というか、それくらいしかできませんしね。

ぶっちゃけ、準備なんてしなくてもオッケーとも言えます。

だから、準備について心を悩ます必要性って一切ないんですよね。

わからんなら、それは準備する必要なしなわけですし、
先のことは先の自分にまかせりゃいいわけですからね。

でも思考は常に準備をしようと働き、
心配のタネを探しては準備を怠らないように目を光らせているおせっかいさんのように働くんです。

これはこれで、働かせてあげつつ、ありがたく感じてれば良いんですけどね。

ただ、これは単なる働きなんです。

ですので、このおせっかいさんの言うことは必ず言う通りに聞かなければならない。
と言うことではないんです。

ぼくらは当然のことのように、このお節介さんの言うことを聞かなきゃならないと思い込み過ぎているんですよねー。
だから、問題があるように感じているんです。

どうしたらいいんだろう?と悩むんです。

でも、いうことを聞かなくても良いので、
問題なんて、本当のところはないんですよねー。

僕らが感じる問題の根っこには「死」という概念があるわけですが、
概念は概念に過ぎず、そもそも「死」は悪いものではありません。

んなもん。遅かれ早かれですし、こんなことを問題として扱い出すと、
この問題はもうひっきりなしに起こってくるのは当然なんですよね。

夜が訪れることを問題だと定義するのであれば、
どうあがこうが、この問題は、より深刻になるばかりですのでねー。
そして必ず夜はやって来るわけです。

このおせっかいさんの言うことを絶対視しすぎるから、
僕らは、問題に右往左往しなきゃいけないように感じるんです。

そして、この「しなきゃいけない」と言う観念が、強迫観念となるわけなんですねー。

この強迫観念は、ありもしない、起こってもいないイメージから発せられているんです。

だからね。
ツライと言う思いが出ていたのだとしても、それはそれで良いわけです。

対処しなきゃいけないという思いが、このツラさを担保しているなんてことにもなっているんです。

これは、死を恐れない態度になるとか、
問題を問題として感じないような自分になるという話ではありません。

そんなん無理ですからね〜。

問題を何度もリフレインしなくても良いってことなんですよね。
「うわっ!こわっ!」
以上。
で終わりなんです。

それ以上、やりようがありませんからね〜。

なので、
わしゃ知らんがな!ってことでねー。
あとはもうお任せしてあげたら良いんです。

 

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