Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

良かれと思ってですやーん。

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はい。
おはようございます。
歯医者通いがなかなか終わらないタクさんです。

皆さまは素晴らしいデンタルライフをお過ごしでしょうか?

いやねー。
歯医者ってコンビニよりも多いとか言われてますけど、
どこの歯医者も忙しそうですよねー。

一気に治せないもんですかねぇー。

 

さて、、
歯の話題とは全然違う話を今日はしてみたいと思います。

いっつもねー。
僕、ここでは自分を愛でてあげてくださいねー。
とか書いてたりするんですけどね。

そもそも、自分と一言で言っても、
皆さんの中には。いろんな自分がいると思うんですよ。

優しい自分もいれば、残酷な自分、暖かい自分に、冷たい自分。
いろんな自分がいると思うんですよね。

ま、そのことが既に自分という者がいないという証明になってたりもするんですが、まあ、そこは置いておいて、

僕らは自分の中に好きな自分と嫌いな自分を抱えてたりするんです。

で、
なんで自分はいつもこうなんだろーってね。
思うこともあると思うんです。
そしてついついイヤな自分をどうにかしたいということばっかりを考えたりもするんですよね。
嫌な部分。変えたい部分についてはどうしても目についちゃったりするんです。

嫌な自分ってね。
目立ちやすいんです。
目立ちやすいからついついそこばっかりみちゃって、
そして、そういう自分をついつい責めちゃったりもしちゃうもんなんですねー。

でね。
変えようと思ったりするものの、なかなか変えられなかったりするもんです。

「なんで変えられへんのや!」
って言いますとねー。

やっぱり、そういう自分。
もっと厳密にいうと、自分ではなく、そういう働きと言えるんですが、
それは、必要性があってそう働いているからなんです。

つまり、困った自分のクセっていうものも、ちゃーんと自分のために動いてくれているわけがあるんですよね。

自我ちゃんの動きというものは、元を辿れば、自己防衛のために働いております。
つまりは、自分を守ってくれているとも言えるわけです。

でも、どうしてもそうとは見えない動き。それが嫌な自分ということになるんですけど、
これもどこかの時点で作られた防衛の働きだったんです。
それがね。もう働きとしては必要がなくなってるのにまだ律儀に繰り返し働いている。
っていうパターンもあったりするんです。

なんでそんなことが起こるねんって言いますとねぇ。
もうこれは人としての本能というか、いわゆる習慣化というものがあるからなんですよね。
習慣化はとっても便利なんですが、たまに棚卸しをしておかないと、不必要な習慣が残ったりするわけです。

ともかく、僕らの中にある嫌な自分っていうのも、あなたのために働いているはたらきだというわけですね。
この働きに対して、ああー嫌だなぁーってね。責めてますと、同時に責められた自分もまたどこかで傷ついてたりするんですよね。

ほら、人に責められるとグッて傷ついたりするじゃ無いですか?
それを、一人でやってる感覚です。その気はなくてもね。

そうすっと、どんどん自分に対する肯定感も薄れていったりして、、、
足りなくなった肯定感を埋めようとするあまり、妙な方向に走っちゃったりすることもあったりするんです。

なので、自分を愛でてあげるのが大事なんですよねー。
特に、自分の中のイヤな自分にたいして、「ありがとね!」と声をかけてあげるんです。
最初は抵抗あるかもしれませんが、自分ですのでね。ちゃんと可愛がってあげたらいいんです。
どんな自分も良かれと思って起こってる働きですのでね。
そのことについては、感謝して愛でてあげたらいいんですね。

観察するのはその後でいいんです。

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