Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生というゲームの楽しみ方

はじめに

はいどうもー!
ゲームが好きなタクさんです。

ただねぇ。
やっぱり年をとってくると好きなゲームもねぇ。
長時間できなくなってきたんですよねー。

そこがちょっと最近の悩みです。
なんか疲れちゃうんです。

やっぱねぇ。
その辺では体力が落ちてきたのかなー?とは感じています。

そもそもゲームってね。
どういうシステムかというと、苦を作って遊ぶものだと思うんですよね。

なんの抵抗もないゲームってはっきり言って面白くもなんともないじゃないですか。

そんなの、ただ紙に描いた点をずっと見つめる。みたいなものと一緒です。

もしかしたら瞑想法としてはいいのかもしれませんけどね。
やっぱり絶妙な苦が散りばめられていて、その苦を乗り越えるのがゲームの醍醐味だと思うんですよねー。

その苦の演出をどの程度にとどめるのか?をうまーくバランスをとって作り上げる。
これが、ゲーム作りの基本であり、一番大切なところだと思うんですよねー。

いい感じの苦があって、それを乗り越えるところにゲームの面白さがあるんですもんねー。

つまりゲームの本質は、いい感じに苦が散りばめられている。
ということに尽きるんじゃないか?って思うんです。

 

・人生はゲームのようなもの

ま、なんでいきなりゲームの話なんだ!
ということなんですけどね。

言いたかったことは、僕らの人生もまたゲームと同じなんだよ!
ということなんです。

もちろん、人生というのは思考によって演出されたストーリーなんですけどね。

そして、ストーリーは幻想だよ!という話も普段からしているわけですが、
このストーリーや思考は悪者ではなくて、僕らにエンタメを供給してくれているとっても良いものなんですよー!ということです。

だからこそ、人生をエンジョイできるわけですからねー。

もし、思考がないなら僕らは単純に体の反応だけが起こっている植物人間みたいな生物になってしまいますもんね。

ただ、近年、植物も植物同士で匂いを介してコミュニケーションをとっているという研究結果も出ていますので、植物人間という例えもそくしてないんですけどね。

ただ、僕らの人生は、ゲームとして楽しむために用意されているということなんです。
のめり込むほどに面白いものではあるんですが、そもそもゲームは苦を散りばめてその苦に対応することが楽しみとして用意されておりますので、のめり込めばのめり込むほどに、その「苦」にリアリティを感じてしまうという性質もあるということです。

・気楽に遊ぶと途端にゲームも面白くなるかもよ!

のめり込むというのはそれだけゲームを楽しんでいるということでもあるので、他人がとやかくいう必要はない!ということもあるんですが、もし、のめり込みすぎて苦しい!と感じるのなら、そもそも僕らがやっているのはゲームだよ!
ということを改めて知る。
本当は知っていたんだけど、改めて知る。というのもいいんじゃないかなーって思うんです。

それを知ることで、
「あ!もっと気楽に遊んでいいんだ!」
ということも再発見できますからねー。

そして、この気楽さって確かに子供の頃は持ってたよなー。
ということも思い出せるんです。

するとね。
途端にこの人生というこのゲームも輝きを取り戻してくれるんです。

 

 

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