
はじめに
はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
みなさん、お部屋のお掃除の方は順調でしょうか?
掃除って綺麗にするとスッキリしますが、やっぱりちょっと報われないって気がしますよねー。
せっかく綺麗にしても、やっぱりまた汚れたり散らかったりするんですもん。
ま、そんなお掃除ですが、基本はゴミや埃を取り去るという行為ですよね。
必要のないゴミを綺麗に片付けてしまえばスッキリということです。
ゴミは「捨てれば」綺麗になる!ということです。
ま、そんなお掃除の概念が影響しているのかどうか?はよくわからないですが、
邪念を捨てよ!とか、カルマを捨てよ!とか、思考を捨てよ!なんてことを聞いちゃうと、
「捨てて綺麗にすればいいんだ!」
って思っちゃうもんです。
とはいえ形のない邪念だとか思考って捨てられないので、
あれこれといろいろやって、邪念や思考が出てこない状態を保とうとしちゃったりするんですよね。
ですが、そもそも無いものを捨てるなんてことはできませんので、
またふと邪念が浮かんできたりするんです。
そうなると、
「まだまだ邪念が捨てきれていなーい!」ってなったりして、
延々と無いものを捨てる修行が続いてしまったりもするわけです。
・邪念はどこから?
邪念やカルマ、そして思考はまあ同じようなものなんですが、
これを捨てようとすると難しいわけなんですが、まずこれらがどうやって発生するのか?
そこをみてみるのがいいかもしれません。
邪念ってね。
邪魔な思考じゃ無いですか。
何かをやっている時に現れてくるものですよね。
例えば、勉強してるのに、なんかスイーツのことを考えちゃったりして勉強の手が止まる。
この場合、スイーツの考えが邪念ということになりますよね。
この邪念を消したい場合は、「今は勉強しなければならない」という思いを消しちゃえば消えるんです。
もっというと、自分は勉強をしてより良くならねばならない!という思いも消しちゃえば、ちゃんと勉強しなければ!という思いも消えるということです。
そうなると、邪念の行き場はなくなります。
べつにこれは勉強をしちゃだめ!ということじゃ無いですよ。
良いも悪いもありませんからねー。
別に勉強に限らず、邪念というのは何かにフォーカスしている時に、それを邪魔する思考としてあらわれるわけです。
つまりフォーカスを消し去ると邪念も消えるんです。
・静寂
これは、音と似ているかもしれません。
何か聞きたい音楽をきいている。もしくは誰かの話を聞いている時。
そんな時に別の音がなっていると邪魔になってうるさく感じますよね。
誰かの着信音だったり、やたらとうるさい選挙カーなんかが近くを通ると台無しになっちゃいますもんねー。
これも、音楽や会話へのフォーカスが解けると、この邪魔な音も消えるんです。
もちろん、聞こえなくなるわけじゃ無いですよ。邪魔な音が消えるというわけです。
フォーカスとは、何かを分離する働きなんです。この分離が消えると音があっても静寂になるんです。
だから分離をやめれば静寂になり、うるささも邪念も消えるんです。
つまり、邪念や静寂を邪魔する音があってそれを取り去るというよりは、邪念や騒音も含めて包み込むことで、邪念は邪念ではなくなり、騒音はそのまんま静寂になるということなんですねー。
・自分をより良くすることでもないよ
これは、自分の中の何かをクリアリングしなきゃいけないというわけじゃ無いということでもあり、自分の中のインナーチャイルドを癒してあげなきゃいけないというわけでも無いということです。
もちろん、そうしたいならしてもいいんですけどね。
結局、全てをクリアにしようとしてもキリがありません。
いくらでも量産されちゃいますからねー。
ただ、それらを含めて包み込んであげる。
つまりは、起こっているなら起こってていいと居場所を与えてあげる。
自分の中にいさせておいてあげる。
そうすると、消えるというか、別にあってもよかった。あることが許されていたことに気づくんです。
ここに気づいたならもう別に邪念やカルマや思考は敵ではなくなるんです。