Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自動運転を楽しく乗りこなす

はじめに

はいどーもー!
タクさんです。
おはようございます!

今日もゴキゲンで参りましょう!

さてさて、車の自動運転技術もかなり進化してきましたねー。
中国では自動運転のタクシーも導入されてるみたいですし、日本でも高速道路ならハンドルフリーで結構いけるみたいですし、駐車も自動でそこそこいけるみたいです。

日本でももっと進化しないかな〜って楽しみにしています。
ちなみに、僕が楽しみにしているのは、完全自動運転が確立されて、
キャンピングカーで、シャワー浴びたり、テレビ見たり、ゲームしたり、寝てる間に目的地に着くという未来です。
それができたら、旅をしながら仕事もできますもんね〜。

面白そうだなぁ〜。早く実現しないかな〜。

ま、そんな自動運転ですが、運転しなくても車に乗れる!ということが導入されたとしても、最初のうちはついつい、障害物や急カーブなんかでは手を出したくなる。
ということが起こるんでしょうね。
やっぱりこれって、クセや慣れの問題なのかもしれませんね。

 

・全ては自動運転

僕らの体や心。これもまた自動運転のように自動で運営されていますよね。
僕らはこの自動運転の体や心に乗っかっているわけです。

いつ生まれるのか?そして死ぬのか?それは誰も決めてませんし、顔の造形や背の高さ、運動神経が良いのか悪いのか?頭の良さにしたって誰が決めたわけでもありません。

内臓の働きから、髪の毛の伸びるスピードまで、ありとあらゆる全ては自動で運営されているわけです。
僕らはそれにただ乗っているだけなんですね。

思考や呼吸にしたって自動で起こっているものに過ぎないんです。

確かに、思考や呼吸に関しては、コントロールできるような気になるかもしれません。

でもそれは、道の右側を通るのか?左側を通るのか?位のレベルでしかなく、
どの道を通るのかなんてのは誰もコントロールしてないんです。

ただ、思考の働きとして、「自分がやった!」という思い込みがあるだけなんです。

・ワシが育てた!

この「自分がやった!」という思考の働きは、ただその様に働いているだけなのでスルーしておけば良いんですが、ここを意識しちゃうと今度は、

「私がもっとうまくやらなければ!」
「もっとこうしなきゃ!」

といった思いに飛躍が進み、
更には、

「常に正しい選択をしなければ!」
「今の選択は本当に正しいのか??」
「これで後悔しないだろうか?」

といった具合に、どんどんと飛躍していってしまうんですね〜。

うまくいったときには、
「ワシが育てた!」
と胸を張り、
うまくいかないときには、
「何かが間違っている」
ってなっちゃいますからね〜。

そして、アリもしない正しい答えを延々と探し求めてしまうんです。
その答えを見つけたとしても、完全じゃないから更に完全な答えを求めて探求が続くんです。

・自動運転を楽しく乗りこなす

だからね。
もうそもそも、自動運転なんだからおまかせしちゃえば良いんです。
むしろ、おまかせするしかないんです。

でもこれは、何もしないとか、何も考えないというわけではありません。
今持っている手持ちのカードで出来ることをやればいいですし、
思考もまた全自動の一部ですから、わからないことも勝手に考えてくれます。
そこにおまかせしていれば良いんです。

自動運転車の中でシャワーを浴びたりゲームをしたり、移り変わる景色を楽しみながら旅をすれば良いんですね〜。

 

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