Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

トゥーティッキさんの素敵な言葉

はじめに

はいどうもー!
にわかムーミンファンのタクさんです。
ムーミンはね〜。
どんな話なのか?ということについては、あまり良く知らないんですけどね。
イラストやイラストから感じられる世界観みたいなものは好きなんですよね。
なので、自宅にはいくつかのムーミングッズがあったりします。

でね。
先日ムーミンのテーマパークに行ってきたんですよ。
そのテーマパークは、でっかい公園にムーミンっぽいモニュメントが色々あるって感じのところなんで、そこそこ楽しめたんですけどね。
そこでちょっとしたムーミンのプロジェクションマッピングの催しみたいなものがやってたんです。
そこにトゥーティッキというキャラが出てきたんですけどね。

このトゥーティッキというキャラは、ボサボサ頭でしましまのTシャツを来ていて、普段は川辺で釣りをしたりしてるキャラなんですよ。
その風貌から完全に男だとおもってたんですが、この催しで喋っていたのを聞いて初めて、トゥーティッキが女性だったということを知りました。

 

・すべてはとてもあいまいだから安心

まあ、そんなムーミンなんですが、キャラがみんな個性的だというのも面白さの一つなんだと思います。
でね、色んなキャラが名言を残しているんですが、トゥーティッキにも名言がありましてねぇ。

それが、

~ものごとって、
 すべて、とてもあいまいなのよね。
 でも、だからこそ私、
 安心していられるの。~

 by トゥーティッキ

って言葉なんですよね〜。

うん。いいですね。
「全ては曖昧。だからこそ安心。」
ホントそうですよね〜。

でも、もしかしたらみなさんの中には、

「へ?なんで曖昧なのが安心なのよ??むしろ曖昧こそ不安の種じゃないか!」
と感じる方もおられるかもしれませんね。

思考ちゃん的には、まさにその通りで、曖昧なこと。つまりわからないことこそが不安であって、それがわかることが安心につながる。って感じですもんね。

僕らが、不安にかられ、生きる意味を求めたり正しい選択を求めて探求するのもまた「わからない」が発端になっているわけですから。

でもね。トゥーティッキさんが言うように、すべてはとても曖昧なんです。
それが真実なんですね〜。

・全てに正しい答えがあるという誤解

つまりね。
僕らはもしかしたらとんでもない誤解をしていたのかもしれません。
それは
「すべてには正しい答えがある」
という誤解です。
この誤解があるからこそ、僕らは常に正しい答えを求め、探求を繰り返していったわけです。
でもね。そんなものは無いんですよ。だから見つからないんです。

また、僕らは正しい答えがあるという誤解から、
「まだ自分は正しい答えを見つけられていない」
という思い込みを持たされているんです。

だから、なにかを得たとしてもまだ足りないと思いこんでしまったりしてね。
「足るを知る」ことができず探求のるつぼにはまり込むんですねー。

あいまいこそが「あるがまま」の実相です。
全てに正しさと間違いがあって、すべてに正しい答えがあるという思い込み。
その幻想があるからこそ、僕らは「あるがまま」を見失っていたんですね〜。

そして、正しさや答えがあるという錯覚により、必要のない不安を作ってしまっていたわけです。

全てはとてもあいまいです。
ぼくらが思考の呪縛から解き放たれたとき、このあいまいさが安心であるという事実を知るんです。

 

 

 

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