Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

探求のカラクリ

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

これってねー。

あるあるなんだと思うです。

僕らってね。
何かが欲しい時、実は何を望んでいるのか?
というと、この「欲しい」という思いが叶えられる!
ということですよねぇ。

では、この「欲しい」という思いが叶えられる!とは、
どういうことかというと、
この思いが消えることを望んでいるんです。

 

でね。

この思いを消すために、その欲を満たそうとするんですよねー。

でも、手に入れたモノは途端に色あせます。

いやぁー。
そういえばねぇ。
幼稚園の頃ね。クリスマスにはちょっとしたケーキが出るんですよ。
そこにね。
トナカイの人形がおまけでついてくるんですよねー。
なんか、ケーキにささってるトナカイの人形です。

これがもう、めっちゃかっこよくてですねぇ。

もう、一生持っとこー!ってね。
思ったもんです。

もちろん、お風呂にも持っていきますし、幼稚園に行く時はポケットに忍ばせて持ち歩いていたわけですが、
これもねー。
いつのまにかどっかにいっちゃいました。

まあ、そんなわけでしてね。
色あせちゃうんですよね。

欲が満たされた瞬間の快感って、
実は、「欲しい」という思いが消えたことによる開放感だったりするんですよねー。

つまりは、思考に巻き込まれなきゃ、
もう開放感、至福はここにあるんですよね。

ただ、僕らの人生。
そしてその人生を生きる「私」。
これらは、思考ちゃんの中にしかありません。

思考ちゃんは、そんな「私」がいないと、
とても虚無感を感じちゃいます。

そして、どこかに向かうということに充実感を感じていたりもするわけです。
それがないなんて、虚無じゃん。
って思っちゃうんですよね。

また、「私」を失うのを怖がりますので、
思考の働きは常にonにしておきたいと願うんです。

だから、また何かしら思考が働く材料を見つけては、
思考を働かせ、それを求めるんです。
そして、その働きが止まるのを求めて、動き続けるんですよねー。

これが、探求のエネルギーの正体なんです。

何かをわかりたい!という思いもまた、
ゲットしたいという思考の働きなんです。

いま、ここにある開放感は、思考ちゃんの中にある不足感によって、
隠されてたわけでして、
このカラクリの不条理が明らかになる時、
そこに、安堵の笑いが起こるというわけです。

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