Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたがこの世で生きる理由

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自分探しの旅への憧れ

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん!自分探しの旅に憧れたことはありますか?
僕はあります。
インドに行けば良いんでしょ!って感じに思っておりましたが、
どうも、インドはお腹を壊しそう。みたいなイメージがあったので、
行きませんでしたけど。

まー。
にしても、自分はなんのために生まれてきたんだろう。
自分が生きる意味、生きる理由はなんだろう?

ってねー。
ついつい考えちゃうことってありますよね。

別に生きるだけじゃなくて、何をするにも、理由を探し求めてしまったりします。
この仕事を私がやる理由はなんだろう?
こんなことをする理由はなんだろう?
はたまた、
こんな理由は不純なのではないか?
もっと高尚な理由が必要なのではないか?
こんな、たあいもない理由を持っている自分はダメなんじゃないか?

なんて思ったりすることもあるかもしれませんねー。

というわけで、僕らが生きる理由!
みたいなことをテーマに今日は書いてみたいと思います。

 

なんなん理由って??

まーねー。
とはいえ、生きる理由は何か?ってねぇ。
結論から言いますと、そんなもんないんですよ。
そもそも理由なんていう概念を知る以前から、生きてますからねぇ。
理由によって生まれたり生きたりしてないんですよね。
生きるだけじゃなく、あらゆる全てのこともそうです。
理由なんてありません。

僕らは理由を持って生まれてきたわけではありませんし、
生まれたというのも事実じゃない説すらあります。

なのでねー。生きるにつけられる理由って後付けなんです。
だから、理由が先にあって、そして生きてるわけじゃないんですよね。

後付けだということは、理由っていうのはなんでも良いってことなんですよね。
それほど、理由にこだわらなくても良かったんです。
なぜなら、そもそも無いものですからねー。

だから、どうしても理由を知りたかったなら、好きに決めちゃえば良いんですよ。
自分にとってしっくりするものをね。
モンハンみたいなゲームを始める時に、最初にキャラデザをするじゃ無いですか。
あんなノリでいいんですねー。

僕らが理由を持ち始めた時

ちなみに、僕らは最初っから理由という概念をもっていたわけではありません。
僕らは解釈というものを持った時に理由という概念も持ち始めたわけなんです。

そして、全てに理由づけがされ、その理由に価値の差をつけることで比較の概念を手に入れたんです。
この概念は物事を区別するのには大変便利な概念なんですが、この比較の概念が自分に適用され、生きる理由なんて観念を生み出し、この理由に価値がないとまるで自分が生まれたことに価値がないなんて錯覚を持つことさえあるわけです。
だから、自分の生きる理由を自分に当てはめたくなったりするんです。
はたまた、社会から押しつけられる理由に疑問を持ったときにも、
理由探しがしたくなったりします。
そっちの方が多いかもしれませんね。

あれ、ワシ全然楽しく無いやん!もっと自分がこれだ!オモロイ!っと思える理由があるはず!
ってね。

探すよりも先に、そのオモロイ理由をキャラデザしてやりゃ、それで良いんですよね。

どんな理由もあなたにはかなわない。

「あなたは、当家の跡取りなのよ!」
みたいな、立場をつけられたり、
「あなたは、世界を平和にするために生まれた勇者なのよ!」
みたいにね。
あなたにはいろんな理由がつけられるかもしれませんが、
どんなすごそうな理由も、また
「ニートになるのが俺の生きる理由!」
みたいなね。
一見ショボく見えそうな理由もね。
理由に価値の差はありません。

空に向かって叫ぶ念仏のようなものでして、
好きに歌えばそれでオッケー!
というのが理由です。

だから、どんな理由を探して身につけようとしたところで、
本来のあなたの素晴らしさを説明できるものにはならないんです。
あなたの生は理由なんてものに収まるものではありませんからねー。

それくらい、理由なんて、本来のあなたに比べたらちっぽけなものなんです。

だから、理由がわからないことで悩む必要なんて、
どこにもなかったんですねー。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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