はじめに
はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
大掃除ってあるじゃ無いですか。
年の瀬にやるやつです。
あれね。
やめたいんですよねー。
だって、寒いですもんねぇ。
掃除ってもっと暖かい時にやった方が捗ると思うんですよ。
春とか秋とかね。
なんで冬に冷たい水で雑巾掛けをやらなきゃならんのよ!
って思うんですよねー。
ちなみに僕はこう見えて会社員なんですけどね。
オフィスにはここ数年通ってないんですが、年末の大掃除のときだけ出社しなきゃいけないんですよねー。
これがどうにも釈然としない気持ちでおります。
皆さんは大掃除はお好きでしょうか?
・思考は本来無害である
思考に関してもねー。お掃除出来れば良いんですけどねー。
できれば、嫌なことは考えたく無いですもんね。
そんなゴミをキレイに一掃したい!って思っちゃうのもまた、思考ちゃんのサガみたいなものだと思います。
思考ちゃんが、嫌なことを考えたく無い!って思ってるのってちょっと変でもあるんですけどね。
ポジティブシンキングとか引き寄せみたいなものも、流行ったりしましたので、思考に注意深くなっている方もおられるかと思います。
でもね。
思考って別に無害ですからね。そんなに神経質になってコントロールしようとしなくても良いんです。
そもそも、思考をうまくコントロールできるならこの世に悩みなんて存在しないはずですもんね。
つまり、思考をうまくコントロールするっていう思い自体が無謀だったりするんです。
思考をコントロールしようとすればするほど、コントロールできないという思いに悩んじゃうことになりますもんね。
・思考へのこだわりはいらないよ
非二元や悟りの話を聞いても、これもまた思考として持ち込んでしまうから、もうそういう話は聞かない方が良いんじゃ無いか?
って感じている方もよくおられるんですが、これもまた思考をちゃんとコントロールしなきゃならないという思いから来ているのかもしれません。
中には、そういった本を全部捨てろー!とか、お話し会に登壇して話を聞きにくるなー!
ってなことを言う先生もいる。
なんていう笑い話を聞いたこともあるんですが、これもまた思考の状態へのこだわりが垣間見えたりしますよね。
結局その奥にはちゃんと思考をコントロールしなければいけないという思考があるわけです。
こうなるとまた、コントロールしなきゃいけないのにできない!という思い悩みになっちゃうんですよねー。
・今ここにリラックスする
そもそもね。
思考はコントロールしなくても良いんです。むしろそんなに思考にこだわらなくても良いんですよねー。
どんな思考が起こっても、思考への執着がなければ全くの無害ですからね。
シンプルに思考から距離をとってやれば良いんです。
ここで言う距離とは、心的な距離ですねー。
だから、僕は本を捨てたり、こういった話を聞かないようにすると言うよりは、むしろ浴びるように聞いてみて、そこで思考から離れて、フワッと楽になる感覚を味わう材料にすれば良いと思います。
そして、フワッと楽になったなら、そこにただ在ってみれば良いんです。
在ってみるとそのうち、「全てはこのまんまである」という真実に触れることができます。
それまでは、コケても何度でも立ち上がって歩こうとする赤ちゃんのように、何度でも言葉を浴びて、楽になる瞬間があったならそこにただリラックスをしてみれば良いんです。