Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りに方法はない

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らってねぇ。
初めてのことをするときって、
まずはその方法を探すじゃないですか。

例えば、どこかに行きたかったなら、
まずは行き方を調べますし、
英語を身につけるには、
何かしらの教室に通ったり、より良い方法を探したりね。

だから僕らは、
何かをするときには、必ず方法がある!

って、思い込んじゃってる節があるんですよね〜。

もちろんこれって思い込みなので、
ただのイメージなんですけどね。

この方法があるっていうのは、
単なる思い込みなんだよ~ってことをおさえておいたほうが良いのかもしれませんね。

特に、悟りだとか目覚めだとか、
言い方はなんでも良いですが、
ここに方法論を持ち込もうとするとややこしいことになったりするんです。

 

悟りに方法はないんです

悟りの方法って色々と言われてたりするじゃないですか。
禅や瞑想、本も色々とありますし、
また、人によっては
「本を捨てろ」と言われたりね(笑)
お話会に行けば、特別なエネルギーが充満していてそれに触れると気づくとか。

どんな方法も必要ないんです。
もちろん本を捨てなくてもいいです。
そんなもん、関係ありませんからねー。

「じゃあなんでいろんな方法が語られてるのさ!」
ってことなんですが、
それは「ただ在るだけ」のための準備運動みたいなものなんです。

なので、方法だと思って入ると逆に混乱しちゃうんですよね。

沈黙

出来ることは、ただ在るだけなんです。
このただ在るだけっていうのは、やることじゃないですからねー。
やってることを一旦置いておいてみるってことなんです。
この「置いておいてみる」の練習としていろんな方法が語られているってことなんです。

ただ在る・・・。
沈黙です。

そして沈黙の中、どんな方法も必要ない。
ということを知るんです。

方法というのはゲーム(思考のストーリー)の中にある一つの概念に過ぎなかったんです。

ただ、沈黙し、在ってみる。
焦る必要はなく、ただ静かに在ってみる。
リラックスして、そのまんまに在ってみる。

それだけです。

ただ在るだけ

ただ在るってね。
思考からすると、何の意味もなく退屈に感じるかもしれません。
そしてすぐに方法に飛びつきたくなっちゃうんですけどね。
それもまた置いておいてやれば良いんです。

別に座って目を閉じる必要はありません。

何かをしていても、
泣いても怒っていても、ケラケラ笑っていても良いんです。
それでもただ在ってるんです。

風がどう吹いていても、風であり、
地球がどう回っていても、地球であり、
太陽は、ずっとそのまんまの太陽であり、

あなたもまた、ずっとあるがままのあなたなんです。

この在るがもうスタートでありゴールなんです。
在るだけでもうそれが全てなんです。

 

 

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