Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あるがままに在るというのは、世捨て人になることじゃないんですよー

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

子供の頃に見たアニメでね~。
今でも印象に残ってるのが、妖怪人間ベムなんですよね。

「やみーに隠れて生きる♪」

ってやつです。

なんか、主役のキャラは顔色が変だしちょっと顔も若干怖くて、
しかも主役キャラたちは変身もできるんですが、

当時は変身っていったら仮面ライダーや何とかレンジャーやウルトラマンみたいに、
カッコよくなる!というのが相場なんですが、
妖怪人間ベムたちは、変身したらものすごく醜くなるんですよね〜。

でも、根は正義っていうね。

子供にとっては、混乱してしまうような設定なんですが、
なぜか引き込まれてしまいました。

ちなみに子供の頃に混乱したアニメは、あとはパタリロかな。
あれも混乱しました。

男性だったはずなのに妊娠してたりするし、
わけがわからんっ!って感じですもんね。斬新です。

 

早く人間になりたい!

ま、そんな妖怪人間ベムたちの目的は、人間になることだったんですよね。
「早く人間になりたい!」って言ってますしね。

でも彼らはねぇ。
完全に人間なんですね〜。
ちょっと変身ができるっていう特技がある人間なんですよ。
言語も日本語を喋れますし、知能も高いし、感情もあるし、高潔な哲学も持ってるしねー。

ま、そもそも人間の定義って言葉を喋れて豊かなコミュニケーションができ、思考能力があるってことですからね。

だから、すでに彼らは人間だったんです。
ですが、僕たちは妖怪であり人間ではない!人間に認められていない!
って思っていたわけですね。

そして、「人間じゃない」と思っている間。
「早く人間になりたい!」と思っている間だけ、人間じゃないというストーリーの中で生きているということなんです。

つまりは、ベムたちは、「人間になりたい」という思いから解放されたなら、もう人間なんです。

ルールと演出

ま、人間という種族にしたって、勝手に人間が決めているだけのルールに過ぎず、そのルールを真実だと思っている間だけ、そのストーリーの中で生きているってだけなんですけどね。

こういったストーリーに巻き込まれやすいパターンとして、
やっぱり、「何者かになりたい」という思いを真に受けてしまうってことがあるんです。

そもそも、そのまんまでもう完璧なのに、その完璧さを「何者かになりたい」という思いでかき消されてしまっているんです。

「何者かになりたい」という思いは分離感という恐怖から来ているわけなんですが、
そもそも、この分離感や恐怖っていうのは、ある種の演出なんですよね。
この演出がストーリーをリアルだと錯覚させているわけなんです。

分離感や恐怖は力みを生じさせます。

なのでまずは、スッと力を抜いてあげたら良いんです。
何者かになんてならなくても、すでに完璧なんです。
眉間のシワを緩めてあげて、今のあるがままに委ねるんです。

あるがままに在るというのは、世捨て人になることじゃないんですよー

あるがままに在るってね。
なんていうか、どうしたとしても逃れられない「今」なんです。

一見「あるがままに在る」ってね。
なんだか、目標もなく行き当たりばったりで、世捨て人のようになることだというような錯覚があるかもしれませんが、そういうことじゃないんです。

あるがままとは、何かしらの状態を固定することじゃないんです。
むしろ、状態というこだわりからの解放なんですよね。

状態というものがあるという錯覚が、ある種の呪いのように絡みついているんです。
そしてそれが、今の完璧さ、あるがままから目をそらさせているんですよね〜。

この状態の呪いから解放。
それがあるがままに在るということなんです。

その解放の第一歩は、今にリラックスすることです。
そして、ゴールもまた今にリラックスなんですよね。

そう、足元にすでに救いがあったんです。

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