Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

名前という架空のラベル

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんの身の回りにもいくつかの謎ってあると思います。

僕もねぇ。
とある謎がありましてね。
それが、じーちゃんの名前の謎なんです。

というのもね。
うちのじーちゃん。もう亡くなってるんですが、
このじーちゃんがねぇ。
名前を聞いても「わからん」っていうんですよね。

あ、ボケてたとかじゃないですよ。
バリバリの元気な時でも、
名前を聞いても、
「わからんねーん」って言うんですよ。

どういうことかというと、
ここで実名を明かすのはやめておきますが、

例えば、
「秀吉」という名前だとするじゃないですか。
この「秀吉」ですが、「ヒデヨシ」と読めますが、
「シュウキチ」とも読めますよね。

じーちゃんの名前もこの名前の読み方が
2パターンあって、どっちで読めばいいのか?がわからんとのことだったんです。

今考えたら、「んなわけあるかーい」って話なんですが、
確かに、郵便物の宛名書きで仮名を使っているものに関してはバラバラの呼び名で届いているんですよね。

で、10年に一回くらい、
「結局じーちゃんの名前はどっちやったんや?」
って思い出すんですけど、3秒後には「ま、どっちでもいいか!」ってなってしまうんで、
いまだに謎のままです。

もったいないので、もう一生この謎は解かないでおこうかと思います。

 

名前とイメージ

名前って不思議ですよねー。
もう、その名前だけでイメージが先行しちゃいますもんね。

だって、「大空」って聞いただけで、
青くはれた空を思い描いちゃいますもんね。

でも空はいつも同じじゃなく今この瞬間も変化し続けています。
いつも青じゃなく、白だったりグレーだったり、赤だったり紫だったり、黄色だったり、黒だったりといろんな色に変わってるんですが、
僕らは、空と聞いたら同じ空をイメージしちゃったりするもんです。

しかも、空(そら)って空(そら)じゃありません。
この呼び方は、地球上の一生物の中の一地域でしか使われていない呼び方ですもんね。

だって、一億を超える生物の種類の中の
人間という種類の生物。その中でも、日本と呼ばれている地域に住んでいる者たちの間だけで流行っている呼び方なんですもん。

ですが僕らは、
海と聞いたら、実在しない架空の海を想像したり、
空と聞いても、架空の空を思い浮かべたりするんです。

僕らは知らず知らずのうちに、名前とそこからくるイメージに縛られてるんです。

名前ってウケる

名前ってウケますよね。
僕らは当たり前のようにありとあらゆるモノに名前があると思ってますし、モノだけじゃなくありとあらゆる現象にも名前があると思い込んでいます。

だから、見たことがないモノを見たら、
「あれは何?」
ってその名前を探ろうとしちゃうんです。

そして、名前がないものには名前をつけようとするんですもんね。

あいみょんだって、
「少し冷たい空気を2人噛み締めて歩く
今日という日に何と名前をつけようか?」

なんて言ってますもんね。

そうやってありとあらゆるモノに勝手に名前をつけて、分けようとするんです。
そして、名前をつけられたモノ同士は分かれていると思い込んでいるんです。

あなただってそうですよ。
自分の名前はひとつかもしれませんが、
子供の頃のあなたは、子供と呼ばれ、
そのうち、大人と呼ばれるようになり、
また、時間が経てば、じいちゃんだったりばあちゃんと呼ばれるようになるんですから。

そして、呼ばれ方が変わってくると、
自分も変わったような気になったりしてね。
子供の頃の自分は自分なのか?別人なのか?よくわからんことになってます。

水だって、時には氷となり、またあるときは水蒸気と呼ばれたり、
でも化学式で呼ぶ場合はH2Oで同じだったり。

もうめちゃくちゃやん!って話なんですよ。
分けすぎやし、その分け方の定義も全然ルールが統一されてないんですよ。

そのめちゃくちゃを僕らは頭の中でやってるんです。

名前という架空のラベル

分かれていないものを名前をつけて分離し、
つけられた名前のイメージに沿って、
頭の中でストーリーを作り上げているんです。

そして、そもそもありとあらゆるものに名前なんてない!
ってことを忘れちゃってるんです。

名前なんてそもそも無いんですよ。
ルールの中で決められたラベルに過ぎないんです。

あらゆるモノを統一されていないルールでガンガン分けて、
分けたものに名前をつけて、
その名前がまるで元からあるかのように錯覚して、
頭の中で分離の世界を作り上げているんです。

 

 

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