Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考や心から自由になるということ

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

chatGPTに作業をお願いする時、
結果に対して
「そうじゃなくてもうちょっとこうして!」ってお願いしたりするんですけどね。
そこで何度もやり直ししてもらっていると
あー、何度も悪いなぁ、、、と悪気を感じてしまうタクさんです。
何をコンピューターに気をつかっておるのや・・・って話なんですけどね〜。

きっと今まで仕事で何度もやり直し!と言われ続けたせいでその辛さを噛み締めてるからなんだと思うんですよ。

職業病っす!職業病!

いやー、ホント広告のデザイナーってこのやり直しってやつを、色んな人から何度も言われるんですよ。
はい!修正してくださ〜い。
次はここを修正してくださ〜い。
やっぱり戻してくださ〜い。
こことここを変えてくださ〜い。

てな感じでね、5回位やり直しさせられるのは当たり前、ひどい時は10回やり直した挙げ句、イチから作り直し!なんてこともありますからね〜。
そして、やり直しの責任はデザイナーにある。みたいな目で見られたりするんです。
これが結構、広告デザイナーのツラいところなんじゃないかな?って思います。

みなさんのお仕事事情はいかがでしょうか?

 

思考や心の苦悩からの自由

さてさて。
ぼくらって思考や心の苦悩から自由になりたいって思ったりするもんじゃないですか。
でも、そのときに、なにかしら思考ちゃんに言い訳をしようとしちゃったりするんですよね〜。

「思考に言い訳?それってなに?」

って話なんですが、
例えば、
「私はいない」と聞いたとするじゃないですか。
となると、私はいないんだから、苦しんでいる私もいないんだ!だからこの苦しみは幻想なんだ!
と思おうとする。
って感じですかね?

別に「私はいない」がウソだと言ってるわけじゃないですよ。
実際にいないですし、苦しみも「私」に起こってるんじゃありませんからね。

ただ、「思おうとする」というところが言い訳なんです。

思考に言い訳は必要なし

そもそも思考ちゃんに言い訳をして自由になるっていうのは無理なんですよ。

思いとして納得しようとする。
これは言いかえると、納得できる答えを探してきて思考様や心様に安心していただく。
ってことじゃないですか。

そうして、気を使って納得できる言い訳をしようとしている時点でもう思考の言いなりになっていますもんね。

なので、思考に一切の言い訳なんていらないんです。
だって思考はたんなるイチ生理機能に過ぎないんですから。

なんにも気を使うことなんて無いんです。

大丈夫

もう全て大丈夫なんです。

なんで大丈夫なの?
って思うかもしれませんが、理由なんてないんです。
そのまんまで大丈夫なんです。

そう思えても、思えなくてもどっちでもいいんです。
思いは思いの都合で勝手に働いてるだけですからね。
そこに気を使わなくても良いんです。

あ、思考の顔色を伺わなくても良いんだ!
気を使わなくても良いんだ!
という発見が全ては大丈夫だという発見につながるんです。

なぜなら、「大丈夫じゃない」は思考の中だけにしか無いものだからなんです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!