Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟ると悩まなくなるの??

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
お休みですっかり気が抜けておりますタクさんです。

ここ数日、更新が抜けたりしておりますが、
GWボケということで、ちょっとGW中は更新したりしなかったりになるかもしれません。

どうぞよろしくおねがいします。

さて、
今日はですね〜。
ツイッターの方にも質問を頂いていたんですが、

悟ると悩まなくなるの?
深刻さがなくなるってどゆこと?

ということをテーマに書いてみたいと思います。

 

悩みと深刻さ

まーねー。
たしかに、悩みってイヤですもんね〜。
深刻なのもちょっと勘弁願いたいです。

それがなくなれば、どんなに楽か!
って感じますよね。

ただ、悟ると何かが変わるのか?っていいますと、
そうじゃないんです。

変わらないんです。

ですが「変わる必要なんて無い」ってことを悟りますのでね。
楽にはなるんですよね〜。

どういうことなのか?といいますと、
悩みや深刻さはツライものだ!というのがただの思いこみであり、
この思い込みは事実ではない。
ということを知るわけなんです。

そこで、深刻さがなくなるわけです。
今まで「深刻さ」と呼んでいたようなことは起こるんですよ。
でもそれって、深刻さじゃないことをもう知ってるわけなんです。

悩みがなくなるわけではない

「うん。余計に訳がわかんない」
って思われますよね。

悩みってね。別にすべての悩みが深刻なわけじゃないですよね?
嬉しい悩みやどうでもいい悩みだってあるわけです。
そこについては、別になくしたいとは思っていないはずです。

だって、「いちごにしようか?チョコにしようか?」について
深刻に悩んだりはしませんよねぇ?

「今日はうどんかなぁ?そばかなぁ?」
ってことで深刻になったりもしません。

僕らは実は「悩みが嫌!」というよりは、深刻さが嫌なんですね〜。
問題にしているのは、悩みじゃなくてそこにくっついてくる深刻さなんです。

悩みに深刻さが加わることで、苦悩になる。
ということなんです。

深刻さが出る条件とは

そして、この深刻さが出るには条件が必要なんです。
その条件とは「危機」です。
正しくは「危機」があると思いこんでいることなんです。

「危機」が確実に目の前に迫っている。という思いと悩みがセットになった時、
深刻さという演出が起こるわけです。

そして、この「危機」という思い込みが起こるにも条件がございましてね。
それがいわゆる、
「こうあるべき」だったり、
「これはダメ!」だったり、
「こちらが正しい、あちらが間違い」だったりするわけなんですが、

これらはすべて、分離のもととなる判断がその奥にあるわけなんです。

ま、そういうのが、ポンポンポーンッ!と連鎖して、深刻さの演出が始まるわけなんですね〜。

分離って実は全部イメージ

いわゆる「悟り」というのは、
分離のなさに気づくことですのでね。
あらゆる判断って、全部イメージだったんだ〜!ということが腹落ちする感じなんです。

これが腹落ちすると、全てはすでに許されているということも知りますし、
この世にはあるがまましか無いことを知りますし、
そのあるがままに良いも悪いもないわけですから、あるがままでいい!ということも知るんです。

となるとね。
生理現象として、深刻さってのは起こるんですけどね。
起こっては消えていくんですよね。

深刻さを維持させている力は、この深刻さを排除しなければならない!
という思い込みから来ているんですが、
この「排除しなければならない!」という思いもまた分離の概念から来ている思いですからね〜。
つまりは、「許せない」という思いなんですが、すべては「許されている」を知っちゃってるので、いまいち乗っかりきれなくなるんですよね〜。

もちろん、今までのクセで乗っかることもあるんですけどね。
ただ、そうなったとしても、それも悪くないって感じなんです。

結果、深刻さが減ったり無くなったりして、なんだか軽くなる。
ということなんです。

あえて大人の表現でいうと、
苦味もまた旨く感じる。
サンマのハラワタが日本酒に合う〜!って感じになる。

ってことですかね〜。ちょっと違うか、、、。

 

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