Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私はいないのに、自分を手放すってどゆこと?

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは好きな映画や好きなゲームなんかはございますでしょうか?

ま、そんな映画やゲームですが、時にその中のキャラクターに強い愛着を感じる。
なーんてこともあったりしますよね〜。

なんでしょうかね?
あの愛着は?

実際には存在しないキャラなんですよ。
にもかかわらず、愛着を持っちゃうんですよね〜。

そこには、そのキャラに何かしらの魅力があるんですよねー。

みなさんは愛着を持っているキャラはございますでしょうか?

 

僕らが一番愛着を持っているキャラとは?

さてさて。
そんな愛着ですが、みんな好きなキャラって色々じゃないですか。
でもね。
みんなが共通して愛着を持っているキャラがあるんですよ。

しかも、圧倒的に一番愛着を持っているキャラがあるんです。

そのキャラがね、「自分」なんですねー。

そう、「自分」って思考が作ったキャラなんです。

この「自分」というキャラもね。
映画やゲームやマンガに出てくるキャラと同様に幻想であって、
実在するものではないんですよね。

ストーリー上に出てくるキャラと言う意味では同じなんです。

ですが、僕らはこの「自分」というキャラに、
ものすごく強い愛着を感じているんですよねー。

私はいないのに、自分を手放すってどゆこと?

よく、自分を手放すって言われているじゃないですか。
でもこれって、ちょっと変ですよね。
なぜなら、そもそも「私はいない」ってことですので、
手放す自分もこれまた存在しないんです。

だから、自分を手放そうにも、何を手放したら良いのかよくわからなくなっちゃうんですよね。

自分は身体だと思っているのなら、体を手放そうとするわけですが、
体を手放すなんて出来ないじゃないですか。

思考が自分だと思っているのなら、思考を手放そうとするわけですが、
一時的に、無思考になることはあるので、その時は手放せたような気になったりするわけですが、
「手放した!」と思った瞬間、思考は戻ってきちゃいますのでね〜。
永遠に手放すなんてのは、これもまた無理な話です。

じゃあ、自分を手放すってどうすりゃいいの〜?
って感じちゃいますよね。

自分への愛着、こだわりを手放す

ま、結論から言っちゃうと、そもそも手放す自分ってのはありませんからね。
何も手放すものはない。と言っちゃうと元も子もないんですけどね。

でも、自分を手放したい!っていう思いというのは、自分をより良くしたいという思いから来ているわけなんです。

ちょっと理屈には合わないんですけどね。

より良い自分。何かに気づいた自分になりたいから自分を手放したい。ってなことになっちゃってるんですよね〜。

そして、自分を手放した者になろうとしているわけです。

この自分をより良くしたいという思いの奥にも、自分への愛着みたいなものがあるからなんです。

なので、手放すならその愛着を手放してやれば良いんです。

自分への愛着は、錯覚なんです。

自分への愛着を手放すって、一見かなり難しそうに感じるかもしれません。
でも大丈夫です。
難しく感じるのは、そもそも「自分」という錯覚があるからなんです。
この錯覚を手放していくというのが、愛着を手放す鍵になるんです。

なのでね。
自分への愛着心。自分へのこだわりを感じたら、
その愛着やこだわりは、自分のどこに感じているのか?
ということを聞いてみるんです。

もし、自分が消えてなくなるとしたら悲しいですよね?
自分の何が消えてしまうのが悲しいのか?
その辺を聞いてみると良いかもしれません。

すると色々と出てくると思うんですよ。

今感じている自分という感覚がなくなるのは悲しい。
とか、
色んな思い出の記憶。これが消えるのが悲しい。
とか、
ありとあらゆる、自分であるという感覚への思いが出てくると思うんです。

このすべてが、自分ではないんです。

なので、出てくるたびに、それは自分ではないと言ってあげるんです。

するとねぇ。
あれ?この愛着って、自分への愛着ではなく、世界への、宇宙への愛着なんだー!
ってなってくるかもしれません。

すると、自分というのが錯覚であることも明らかになってくるんです。

 

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