Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【へ?】手放しても、何も失わない【どういうこと?】

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【はじめに】

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

最近読んで面白かった漫画は、
ホーリーランドです。

実はホーリーランドは以前も全巻読んだんですけどね。
僕は漫画の場合、一度読んでも忘れるのを待って再度読む!っていうのがお気に入りでして、ホーリーランドは2周しました。

ちなみに、キングダムは5周くらいしており、
横山光輝先生の三国志は、何十周もしております。

みなさん、どんな漫画がおすきでしょうか?

さてさて、
よく、思考を手放しなさいっていう言い方があるじゃないですか。
僕もそういう表現を使ったことがあると思いますが、
同時に、手放すと受け入れるは一緒だよー。
なんて表現もよくしております。

手放すなら、手放すでいいじゃん。
なんでわざわざ、受け入れると一緒だよーとかいうのよ。
ややこしい。
って思われる方もおられるかもしれませんねー。

でもね。
それは、
手放すっていう言葉にちょっとした誤解が含まれてるからなんですよね。

まだ、同じような思考が浮かんできます!
手放せません!
ってな質問もしょっちゅういただきます。

これもね。
きっと「手放す」という言葉を誤解しちゃってしまうから出てくる思いなんですよねー。

ま、誤解っていうか、「手放す」は手放すだから言葉としては間違ってないんですけどね。

よく非二元で言われるような手放すは、言葉の意味とはちょっと違うんです。

 

【手放すとは気づきである】

意味が違う???
どういうこと???

手放すっていうのは、もうその思いが自分の中に湧いてこないっていうことじゃないの??
この嫌な思いがもう湧いてこないってことじゃないの??

だから、手放したい!と願ってたんですけど。

って思う方もおられるかもしれません。

まー、ここはねー。
たしかに、副作用的にそういう面もあったりはするんですけどね。
なぜなら、嫌な思いっていうのは、ある種の深刻さがどうしても必要ですからね。
その深刻さは副作用的に減っちゃうので、そういうこともあるっちゃあるんですけどね。

ただ、そこは本筋じゃないんです。

実は、手放すとは気づきなんですよね。

「なんの気づき?」かというと、それは、
僕らはなにも持ったことはない!
という気づきなんです。

【僕らは何も持ったことはない】

僕らは何も持ったことはないし、ずっと持って置けるようなものはない。
という気づき。
これが手放すなんです。

私はこれを持っているという錯覚が解けるとき、元々持っていなかったけど、手放されるんですよねー。
これは、元々持っていないから何も変わらないんですけど、持っているという錯覚に気づくということ。
これが手放すということなんです。

また、何も変わらないということを受け入れる。これもまた同じことなんですよね。
僕らはなにも持っておくことができない。これを受け入れることで手放されるというわけですね。

【手放しても失わない】

また、手放すには、失うという恐怖を感じるパターンもあるかもしれません。
確かに、思考で普通に考えると、手放したら何かが消えてしまうんじゃないか?失ってしまうんじゃないか?
って思うのが当然ですもんね。

でも僕らは、何も失いません。
だから、今まで通りなんです。

何も取っておくことはできませんし、何も失いません。

そして、持っていると思っているものがなくなるわけではないですが、
そもそも、持っていたことなんてないんですよね。

だから、何も変わらないので、失うことを恐れる必要性もないんです。

 

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