Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

不快を避けて快楽を得ようとすることの何が悪いというのか!

はじめに

はーい。
どうもぉー!
おはようございます。
タクさんどえーっす!

今日はですねぇ。
「あなたはなーんにも間違ってない!」
ということをテーマに書いてみたいと思います。

自我ちゃんでもエゴちゃんでも思考ちゃんでも、
呼び方はなんでもいいんですけどね。

この自我ちゃんは、常に何か間違っているところをずーっと探し求めてたりするんです。

特に、心に落ち着きがなく、不快な思いを避けようとする時、
避けようとしているのに、どうしても不快な思いに取りつかれちゃったりする時には、こうした探究が顕著になるんです。

天気をみてても、どんより曇りの日もあれば、スカッと晴れた日もあるし、スコールのような雨の日もあれば、嵐のような日もありますよね。

ずっと同じ天気なんてありえないんです。
これは天気に限らず、ありとあらゆるものが常に変化しているんです。
諸行無常とは、全ては常に変化してるよーっていう意味ですからねー。

つまり、いろんなことが起こるのが、当たり前なんです。
ここにはまだ、「問題」は発生してませんよね。

ですが、自我ちゃんは、いろんなことが起こることを許していません。
いい事だけが起こり、嫌なことは避けたい!と思っているからです。

そもそも、自我ちゃんの行動原理は、快楽を求めて、不快を避けるもの。
というふうにプログラムされております。
だから、常にそのように行動するわけなんです。

そこで、自我ちゃんの中だけで「問題」というものが生成されるというあんばいなんです。

 

不快さって受容しなきゃいけないの?

ここでね。
僕らが陥りがちなワナがありまして、
それは、この自我ちゃんを何とかしてコントロールしようとすることなんです。

不快なことも避けることなく受容しようとするんです。

実際には快も不快も勝手な判断によって分けられた幻想なんだから!
そこをしっかりと見抜いて、不快なことも受容できるようになれば、
ここで、自我ちゃんは完成するんだ!

みたいなね。

でも、まー皆さんも心当たりがあると思いますが、
そんなのうまくいきっこないんですよ。

だって、嫌なもんは嫌ですもんねぇ。
そんなの受け入れられっこないんです。

そもそも、そうやって不快を受け入れて、楽になろうっていうね。
この考え自体がもう、
「不快を避けて、快楽を求める」っていう自我ちゃんの思いそのものですからねー。

結局はメビウスの輪のように、同じところをくるくると行ったり来たりしていくだけなんですよね。

不快を避けようとするのは当たり前

不快なことが起こるのも当たり前なら、
自我ちゃんが、その不快を避けて、快楽を得ようとすること。
これもまた当たり前なんです。

自我ちゃんは、不快を問題とします。
そのこと自体は、なんの問題もないんです。

心臓は運動をすると鼓動が速くなりますし、
リラックスしていると、鼓動はゆったりしますよね。

ここになんの問題もありません。
そういう機能だからです。

走っていると呼吸が荒くなってくるのも問題はありませんよね。
だって、呼吸はそういうものなんですから。

走っているのに、ゆったりと呼吸しようと痩せ我慢して見せたところで、結局我慢できずにブハーッってなりますもんね。

自我ちゃんも同様です。
自我ちゃんは不快を避けて快楽を得ようとする。
それは、そういうものなんです。

だから、そうさせておけばいいですし、そうさせておくしかないんです。

僕らは、髪の毛が生えてくるのも、心臓が鼓動するのも、
爪が伸びるのも、全部そうさせているじゃないですか。

自我ちゃんの働きもそうさせておけばいいんです。

 

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