Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

味わいたくない嫌な気分を味わってしまう理由

はじめに

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ま、皆さんもきっとそうだと思うんですけどね。
どうせなら毎日の日々を気分良く過ごしたいものですよね。

だから何とか気分を害さないようにしていこう。
って思ったりするんですが、
やっぱり時には気分を害してしまう。

それはとってもイヤーな感じなので、
それを味わうたびに、
「もう2度とこんな嫌な気分は味わいたくない。」
って思うんですよね。

だから、何とか今度こそは嫌な気分を味あわないように注意を払おうとするんですけどねー。
やっぱり嫌な気分ってのは定期的にやってくるんです。

でもちょっと変ですよね?
だって、これほどまでにこんな気分は嫌だ!って思ってるのに、
なぜそれをやめられないんだろう??

って思いません??

誰がこの嫌な気分を演出してるのよ。
これほどまでに嫌だ!って言ってるのに!!!
って話ですもんねー。

 

嫌な気分は誰が演出しているの?

ま、この嫌な気分を演出しているのは、いうまでもなく自我ちゃんです。
そして、変な話なんですが、嫌な気分を味わいたくなーい!って叫んでるのも自我ちゃんなんですよね。

「自分で演出して、自分で嫌がるってどないやねんっ!」
って感じるかと思います。

でも実は、この自我ちゃんが演出しては、嫌な気分になる。
っていうサイクルは実は自我ちゃんの狙い通りなんです。

そして、その狙いの奥には自我ちゃんの本当の目的っていうもんが隠れているんです。

自我ちゃんの本当の目的とは

自我ちゃんの本当の目的とは、何かと言いますと、それは注目されることなんです。
なんで注目されようとしているのかというと、その奥には、生き延びるという大目的があるんです。

生き残るために、どんな些細なことでも危険信号を出して
何とか危険なことから逃げよう!とするんですね。
そして、その信号に全力で注目されようとするんです。

まあでも、危険なことを避けるっていうのは、別に悪いことじゃないですよねぇ。

ただ困ったことに、自我ちゃんはものすごく精密な思考能力っていうものを手に入れてしまったんですよね。
なので、今まで貯めに貯めたあらゆる判断材料を駆使してちょっとでも危険だと思われることに対しては全力で危険信号を出してくるんです。

この危険信号が、いい気分だと注目されないじゃないですか。
だから、注目されるためにイヤーな気分を演出するんです。

自我ちゃんの注目され方法

僕らって、怪我をしたり病気になったりすると、身体の信号をキャッチしますよね。
それは、痛みであったり不快感だったりです。

自我ちゃんもこの体の感覚を使って注目されようとするんです。
身体さんは素直ですので、危ないよっ!って言われたら、
「あ、そうなん?」
って素直に聞き入れて、身体感覚で危険信号を出すんです。

これが嫌な気分の元になっているんです。

ただほら、思考能力って、無いものを有ることにするっていう能力じゃないですか。
いわゆる仮想現実を作り出す能力が思考能力ですからね。
だから、際限なく危険なことっていうのを作り出せちゃうんですよね〜。

なので、いったん嫌な感じが演出されると、
自我ちゃんは際限なくいろんな嫌なことを思考で作り出すんです。

これはまるで、目の前にいもしないオバケに対して、
怖がっているのと同じようなことなんです。

自我ちゃんは常に注目されようとする

また自我ちゃんはねぇ。
意地悪なことに、別に何ら危険なことが起きてない時でも、
危険信号を出してくることがよくあるんですよねー。

自我ちゃんにしてみたら、常に注目してもらわないと困るからなんです。

ましてや、この自我ちゃんを追い出そうとしたなら、めちゃくちゃ抵抗してきます。

しかもね。
そのやり方がとても巧妙でしてね。

「自我を追い出さなければ、真の幸せはやってこない!」
「何としても、この自我を追い出さなければ!!」
みたいなね。

そんな危機感を演出して、注目させようとしてくるんですよ。

普通追い出されたくなければ、

「追い出すな〜!自我ちゃんを追い出したら偉いことになるぞ〜!」

って言いそうなもんじゃないですか。
でもね。

逆を突いてくるんですよ!
すごいですよね。ほんと巧妙です。

また、何かしらの解放が起きた時も必ずと言っていいほど、
「やった!解放された!でも、本当に私は解放されたのだろうか?本当に私はわかったと言えるのだろうか?」
ってなことを言ってきたりもするんですよね。

これもまた自我ちゃんの定番方法の一つなんです。

あるがままに

あるがままにみる。
というのはね。
思考の演出を分析するということじゃありません。
また、何かをわかろうとすることでもないんです。

どんな思いや感情が起こっていようと、
それをそのまんまにしておいてあげるってことなんです。

実際に矢がこちらに向かって飛んできているのなら、身体は勝手に防御体制を取ってくれます。
ただし、目の前に実際の危険が起こってないから、体はどう反応したらいいのかわからずに、ただ危険信号だけを鳴らしているだけなんです。

これが、ありのままですので、
「うんうん。怖がっているんだね。」
ってね。
そのまんまにしておいてあげればいいんですよね。

だって、大丈夫ですもんね。
実際に目の前の風景は何でもない風景ですもんね。

思考はあれこれと言ってきますが、
そういうイメージがただ起きているんだね。
ってそのまんまにしておいてあげればいいんです。

実際に何かが起こればちゃんと何とかしてくれます。
起こってないからどうすればいいのかわからずにいるだけなんです。

起こってないのに起こっているような演出がされている。
ということを、淡々とあるがままに、そのまんまにしてあげるんです。

するとね。
不必要に自我ちゃんに注目しなくても大丈夫だということに馴染んできます。

あとは全ては起こっては消えていく。ただそれだけ。
ということなんです。

 

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