Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我は自賛するものである

はじめに

へいよー!
おはようございます。
タクさんです。

いやー、最近ですね。
っていうか年始に喉をやられてから、
イマイチ喉の調子が悪くてですねぇ。

普段の生活には支障がないんですが、
長く話していると咳き込んでしまうんですよね。

なので、ここしばらくはセッションが出来ておりませんでしてスイマセン。

そろそろ治ってきたので、近々募集を開始したいと思います。
どうぞよろしくおねがいします。

と、いうわけで、
今日も今日とて、自我ちゃん関連のお話を書いていきたいと思います。

ま、この話っていうなれば、暴れまくる自我ちゃんに対して
どうすれば良いのか?
みたいな話でもありますからね〜。

ちょっとややこしい話なんですけどね。

私はいません。だから自我ちゃんも存在していません。
なので、暴れまくる自我ちゃんというものも存在していないんです。

と言ったようなことを言う人もいるんですけどね。

それは、まさにそうなんですけど、この「私はいない」を一つの答えとして持ち込んじゃっていて、この答えと違う意見に対して、「ちがうよ!答えはこっちだよ!」と言いたくなっちゃってるんだとしたら、
それもまた、自我ちゃんの働きだったりするんですよね。

この辺、ホントややこしいですねー。

さてさて、そんな自我ちゃんなんですが、
ついつい悪者になりがちです。

ここでも、自我ちゃんは愛でるべきものであって、悪者ではない。
と、何度も書いていたりするんですけど、そうであってもやっぱり悪者にされがちだったりするんです。

でもそうやって、自我ちゃんを悪者にすることによって、自我ちゃんの暴発を誘導していることになったりもしますのでね。
ちゃんと自我ちゃんは愛でなければならない!ということをテーマに書いてみたいと思います。

 

自画自賛

さて、自画自賛って言葉があるじゃないですか。
自分で自分を褒めるってやつですけどね。

これ、日本人はあまり良くは思わない節があるので、
あまりそれをする人はちょっと距離を取られたりしがちなんですが、
別に自画自賛をすることが悪いことではありません。

たしかに、誰かに向かって自慢や自賛ばっかりしてると、
それは相手にとってはウザいだけですので、それは控えたら良いんですが、
自分の中だけで自賛するのは誰に気づかれることもありませんからね。

なので、自分の中で思いっきり自画自賛をすれば良いんです。

「自画」自賛ならぬ、「自我」自賛ですね。

そもそも、
自我ちゃんは自賛されるべきものなんです。

そして、自我ちゃんを自賛することがひいては自我ちゃんの奴隷になることから解放されることにもなるんです。

自我ちゃんは自賛し愛でてあげるべき存在である

なぜなら、自我ちゃんは卑下されることで、余計になんとかしなきゃならない!という思いを蓄積させていくんですよね。
そして、この蓄積された「なんとかしなきゃいけない!」が自我ちゃんの暴走を生み出すんです。

そして、自我ちゃんの暴走に巻き込まれることで、自我ちゃんの奴隷になってしまうことになってしまうという寸法です。

普段から、ちゃんと自我ちゃんを自賛しておいてあげないと、ついつい卑下する方向に向いちゃいますからね〜。

ここは要注意でございます。

だからこそ、自我ちゃんは自賛し愛でてあげるべき存在なんです。
実際に、ものすごくカワイイものでもありますからね〜。

自我ちゃんを卑下することはとても可愛そうなことなんです。

また、自賛するのに根拠も必要ありません。
もし、自我ちゃんを根拠という檻に閉じ込めていたりするのなら、それもまた可愛そうなことです。

もし、あなたがそんな可愛そうなことをしているのなら、すぐにやめて、ちゃんと無根拠で自賛してあげましょうね。

 

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