Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんにも変わらないけど軽くなるってこんな感じだよ〜

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

昨日なんですが、Twitterの方に質問をいただきました。

質問内容は、要約すると、

「タクさんは今ではもう思考に巻き込まれることはないのですかー?」

ってやつですね。

こういった質問は、よくいただいているんですが、
でね。
正直に答えるとしたらどうなるのか?と言いますと、

「何にも変わらないけど、軽くなるよ!」
って答えになっちゃうんですよねー。

ま、ちょっと歯切れが悪いじゃないですか。この答えって。

質問者さんはきっと、自分にとってこの話はどのくらいより良くなれる話なんだろうか?
実際に自分はどのように変われる可能性があるのか?
ってことが気になってたりするんですよね。

例えば、本でもセミナーでも、
これを読めば、あなたはこうなります!
なんてコピーが乱立してますもんね。
ま、大抵は嘘だったりするんですけど、

一応はそれを見て、読みたくなったりするもんですからね。

まーでも、自分というものは別にそれほど変わらないんです。
いわゆるパーソナリティが変わるのか?というと、変わらないんですよね。

ゲームがプログラムで動いているということがわかったとて、
ゲームの中のマリオの動きが変わることはありませんもんね。

なんかそんな感じなんです。

 

・思考って巻き込んでこないの??

ま、僕も思考に巻き込まれるって言葉で表現しておりますが、
実際のところ、思考が何かを巻き込んだりはしていないんですよね。
ま、そりゃそうじゃないですか。
そもそも思考って何かを巻き込む力なんてありませんからねぇ。
言葉のアヤみたいなもんです。

実際には、思考は、ただのイメージとして現れていて、
それと同時に、身体に緊張感が走っている。

この二つが合わさって、まるで巻き込まれているかのような演出が起こっているというのが、ホントのところですもんね。

・巻き込みの仕組み

この緊張感というのは、何かしらの危機が訪れているよ!というサインですので、
そのサインに従って、思考が危機回避をしようとするんです。

ですが、この危機感の正体は思考、すなわちイメージなので実際に存在するものではありませんので、危機を回避しようがないんですよ。

でも、身体にはリアルな危機感を感じていますので、「やっぱり危機があるよー!」というサインが送られ続けるんです。

そしてまた、あれこれと回避策を考える。

この流れが加速して、別に今は老後でもないのに、老後の心配をしてみたり、
自分と架空の人物像を引っ張り出して比較してみたり、
と、何か危機的なことはないだろうか?と探し続けるんですよね。

そして、あれこれと心配事を積み上げては、それに伴い危機感も大きくなり、
危機があるよ!のサインもどんどん大きくなっていき、、、。

っていうのが、ま、思考に巻き込まれるということです。

これはね。
仕組みとしては、ドッキリと同じなんですよね。

思考のドッキリにひっかかっているというわけです。

・変わらないけど軽くなる

じゃあね。
ドッキリだと最初からわかっていたらどうなのか?
ってことなんですが、
多分みなさんも
「ドッキリだとわかってたら、もう全然怖くないよー。」
って思うかもしれませんが、実はそうもいかないんですよ。

例えば、お化け屋敷ってね。
中には平気な人もいるかもしれませんが、
アミューズメントであるとわかっていても、やっぱり
「こわっ!」ってなりますよね。

ドラマだとわかっていて、演じているのは俳優さんだとわかっていても、
泣いたりするじゃないですか。

だから、何も変わらんのですよ。

でも、お化け屋敷のお化けが本物だ!とは思ってませんので、
お化け屋敷を出たなら、あんまり引きずらないですよね。

でも、これを本物だと思い込んでいたら、またいつお化けが襲ってくるのか?
と、ずっと怖かったりするじゃないですか。

これは、無いんですよね。

この感じがいわゆる、軽くなるよ!ということなんです。

ま、そんなわけで、ちょっと例えが変になったかもしれませんが、

「何にも変わらないけど、軽くなる。」
ってこんなかんじだよーというお話でしたー。

ではでは、また明日♪

 

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