Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今からはどうあっても逃れられない

はじめに

はぁーい。
どうもおはようございます。
なぜか、YouTubeでおすすめに上がってきた、
あゝ野麦峠に見入ってしまったタクさんです。

これねー。
明治の生糸工女さんたちの、可愛そうでひどい話なんですが、
僕ねぇ。
ブラック企業時代にも、なんか見たことがありましてね。

この人達、確かに大変だけど、
でも、寝てるよねぇ〜。

僕ら、一日3時間くらいしか寝かせてもらえてませんやん。
寝れるだけ良いよね〜。

って愚痴ってたことを思い出しました。
給料もものすごく安かったですからね〜。

ま、とはいえ、工女さんたちは自由は一切なく、部屋に閉じ込められるし、
労働基準法もなく誰も守ってくれないので、
今のブラック企業以上に、その苦労は想像を絶するものだったんでしょうね。

あと、別の見どころとしては昭和の名女優さんたちの若い頃が、
ものすごくカワイイしお綺麗だというところでしょうか。

さてさて、
やっぱり大変な思いをしてたりすると、
楽になりたいわぁ〜って思ったりしますよね〜。

別に大変な思いをしていなくても、
楽になってみたいですもんね。

はたまた、今は別に楽っちゃ楽なんだけど、
それでも、今後もずっと楽でいたいよねぇ〜。
って場合もあると思います。

別に、どうなればいいとか具体的なことはないんだけど、
楽が良いわぁ〜って感じている方がもしかしたら多いのかもしれませんね。

ま、思考ちゃんは基本的に、悲観的なことが大好物ですから、
お金のことを考えだしたら、やっぱり悲観的な方に引っ張られがちですし、
健康面のことを考えたら、それもやっぱり悲観的な方に引っ張られてしまうものですからね。

なので、どうしても楽を求めちゃったりするもんです。

 

楽を求めるとズレる

ま、なので、何かしらに目覚めたなら、楽になるって言われると、
そりゃー、その楽を求めたくもなるってもんです。

「これ」だとか「それ」だとか、
非二元だとか悟りだとか、
なんでもいいけど、そういうのに目覚めたら楽になるんでしょう?

だったら、それ、めっちゃほしいやんっ!

って思っちゃいますもんね〜。

でもね。
ここで一個、大きなボタンの掛け違いが生じているんですよね。

それは、楽を得たいと思っていることなんです。

ここでボタンがかけちがってしまっているので、
この方向性でいくら求めても、全然追っつかないってことになっちゃうんです。

いくらボタンを締めていってもずっとかけ違えてしまうって感じでね。

バシッとはまらないんですよね。

楽さは得るものじゃないんです

楽さってね。ま、要するにかる~くなるから楽になるってことなんですけど、
これって、何かを得て楽になるということじゃないんです。

得てしまうと、失う不安も一緒に持ち込んじゃいますし、
さらには、得たものの条件に支配されちゃいますので、
楽にはならないんです。

例えば、お金を得たとしても、健康を得たとしても、
失う不安は変わらなく存在しますし、
どれだけ得たとしても求めている限りは足りなくなっちゃいますからねぇ。

結局の所、楽を条件に求めてしまうと、
楽にはならずに、得たものと同じだけの不安を抱え込んじゃうってことになるんです。

コインの表だけが欲しい!と願っても、絶対に裏も一緒についてくるってことなんですよね。

今からはどうあっても逃れられない

この楽っていうのは、言い換えると安心です。
ではこの安心ってどういうことか?というと不安がないということですよね。

この不安っていうのは失う恐怖から来ているわけですが、
今だけを真摯に見つめてみますとね。

失うなんてことはこの「今」には存在できないんです。

常に過去や幻想を持ってきて、比較に照らし合わせてみなければ、
失うは存在できないんですよね〜。

つまり、失うというのは、思考のイメージの中にしか存在できないんです。

ただただ、純粋に「今」に向き合ってみると、
ここには思考の入り込むスキはありません。
思考が入り込めないんだから、不安も入りこめないんです。

そして、どこに逃れようが、どんなイメージを凝らしていようが、
この「今」から逃れることは絶対にないんです。

もうずっと「今」なんです。

今から逃れられないって聞くと、今の状態から逃れられないって勘違いしちゃう場合もあるかもしれませんが、それは違います。

あなたが思っている今の状態っていうのは、今ではなく思考のイメージなんです。
この思考のイメージが入り込めないところが「今」なんです。

そして、この「今」にすべてがあり、この全ては過去や未来に飛んでいったりはしないんです。

この今に向き合えば合うほどに、絶対的な今から離れたことなんて一切ないことが、当たり前のこととして知らしめられるわけです。

すると、思考を頼りにしなくても絶対に大丈夫じゃん!ということも知らしめられるんです。

だから、楽なんです。

 

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