Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

エゴの消滅??

はじめに

へーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

エゴっていう言葉がありますよね。
でもこの言葉って定義は結構曖昧だなーっておもいません?

自分勝手なことをしたり、自分よがりのことをしているときに、
それってエゴだよ〜!って指摘されたりするときも、
エゴって使いますからね〜。

なんか、エゴって、自分本位の考え方。
みたいな捉え方が結構主流なのかもしれませんね。

いわゆる利己主義というものも、エゴと捉えられます。

でも辞書で調べてみると、利己主義もあるんですが、
最初に出てくるのは、
自己とか自我です。

自分本位だとか利己主義というのは、
エゴイズムだったりエゴイストということであって、それらを略してエゴとしているっぽいので、「エゴ」とはちょっと意味合いが違うんですよね〜。

僕がここでよく言っている自我ちゃんという働きは、
自分本位や自分勝手、さらには利己主義というものではありません。

単に、自己・自我なんです。

ただ歩いているのに、そこに「私は」歩いている。
と言ったように、僕らは何にでも「私」をくっつけて思考をイメージします。

このくっついてくる「私」。
こいつが、自己であり自我ちゃんなんです。

だから自我ちゃんは常に思考とセットとなりあらわれます。

つまり自我ちゃんとは思考の働きでもあるわけですねー。

 

まだ私の中にはエゴが残っている?

よくこの界隈では、エゴが消滅する。
なんて表現がありますよね。

なので、あれこれと修行してみたり、何やらわかったような気にもなったりしたけど、
やっぱり私には、自己という感覚がどうしても残っている。
だから、まだ私のエゴは消滅していないんだな。
って思ったりする方も結構おられるかもしれません。

でもね。
この言葉、ちょっと変なんですよ。

だって、この言葉ってね。

「私には自己が残っている。」
「私にはエゴが残っている。」

「だから、このエゴを私から取り除かなければならない。」

ってことじゃないですか。

でも「私」とは「エゴ」ですからねぇ。

これ、言い換えると、私から私を取り除かなければ、エゴが消滅した私になれない。
って言ってるのと同じですからね。

私から私を取り除いた私ってねぇ。
なんの言葉遊びやねん!って話ですもん。

私を取り除いた私って、いつまで経っても私がいるからダメじゃん!
ってことですもんね〜。

こんなの終わりのない旅なんですよ。

じゃあエゴの消滅ってどういうことなんでしょうね??

エゴの消滅

というわけでみなさん。
ちょっと想像してみてください。

今、あなたの手に上には、みずみずし〜いレモンがあります。
このレモンを半分に切って、ガブッと頬張ります。

さらにもう半分も間髪入れずにドーンッ!でございます。

レモンの果汁が口いっぱいに広がり、口の中いっぱいにレモンの味が広がっていきます。

さあ、どんな感じがしますか?
ちょっとつばが出てきたりしてませんか?

あーすっぱ〜いって感覚を感じておられるかたもいるでしょうね〜。

さて、当たり前のことを一応言っておきますが、
このレモン。ありませんよね??

エゴっていうのも、このレモンと一緒なんです。

消滅も何も、最初っから無いんです。

私感覚はただの感覚

「えー。でも私って言う感覚はたしかにあるんですけど〜。」
って感じる方もおられるでしょうけどね〜。

これ、単なる感覚に「私」っていうラベルをくっつけているだけなんですよね。

この仕組みが見破られること。
これがエゴの消滅と呼ばれていることなんです。

そもそも、無いものを無いと知ること。
そして、知っていたことも知ることなんです。

だって、レモン無いよって言われても、
知っとるし、知ってたわい!

ってことですもんね〜。

それと似た感じでね。

無いものをあるという「てい」にしていたことが見破られるんです。

 

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