Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私はいないのなら、なぜ自己紹介をするの?

はじめに

サッカーってね。
正式名称はアソシエーションフットボールというらしいんですよ。
ま、長いのでフットボールと呼ばれているんですけどね。

そして、世界ではフットボールという呼び方のほうが主流なんですよね〜。

ただねぇ。
ややこしいのが、アメリカでラグビーを改良したアメリカンフットボールというスポーツが流行りだしまして、アメリカではこのアメフトのことをフットボールって呼んでいるんですよねー。
なので、本来のフットボールは別名としてサッカーって呼び出したんだそうです。

日本には、ラグビーやアメフトやサッカーがだいたい同時期に伝わってきましたので、
サッカーの呼び名が定着したんだとか。。。

ちなみに日本語では蹴球とかいてしゅうきゅうと呼びます。

はーい。というわけで、
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんはサッカーお好きですか??
僕は初めて買ったVHSビデオソフトは
キャプテン翼 フィールドの貴公子三杉淳 編です。

小学生の頃だったんですが、当時にビデオソフトは一本1万円を超えておりましたからねぇ。
お年玉をはたいて買ったのを覚えております。

でもこのビデオ、一万円超えのくせに、アニメ3話分くらいしか入ってないんですよ。
ヤバいですよねぇ〜。

 

私はいないのなら、なぜ自己紹介をするの?

さてさて。
話はグッと変わりますが、よくここでも、
私はいないだとか思考は幻想だ〜。
この幻想が見抜かれることが目覚めなんだ〜。
的なことをいってますけどね。

ま、こう聞くと、
「じゃあなんで、私はいないのに名前を名乗ってるんですか?
「私もいないし思考も幻想なら、普段どうやって生きてるの?」
「仕事とかどうしてるの??」
ってな疑問が湧いてくるパターンもあるかもしれません。

全てに分離がないんだー!
って知ったとして、それで何が変わるんだろう??
ということも気になったりしますよね。

ま、ここに関しては、深刻さがなくなるといいますか、
深刻さの正体がバレることによって、長続きしなくなる。
って感じなんですよね。

だから心が軽くなるんです。
心の重さの正体は、深刻さという演出ですからね〜。

おマヌケな話

じゃあ、私はいないのに自己紹介したりするのはどういうこと?
ってことについてはねー。

素直に答えたなら、
「そりゃー、自己紹介なんだから名前を名乗るよねぇ?」
ってなるんです。

これは、別に皆さんと変わらない答えなんですよね。

仕事だって普通に頭使ってやりますし、
カフェラテにするかアイスコーヒーにするかを普通に悩んだりもするんです。
どっちにしよっかな〜!って思いながらね。

この辺は、な~んにも変わらないんです。

なんか、詳細は忘れたんですけどね。
誰かがお寺のお坊さんにお話を聞きに行った場面の動画がありましてね。
そこで、お坊さんは、本当は誰もいないんです。みたいな話をしてたんですよ。
そのときに、ピンポーンって呼び鈴がなったんですね。

たまたま、このお寺にはこのお坊さん以外、誰もいなかったみたいで、
結構しつこく、
ピンポーン、ピンポーンって鳴ってるんです。

で、話を聞いてた人が、「誰か来られたようなので出られたらどうですか?」
って言ってるのに、お坊さんは頑なに、
誰もいないんです。とか言いながら出ようとしない。

みたいな場面を見た覚えがあるんですけどね〜。

これって、結構マヌケな話じゃないですか。
ピンポン鳴ってるんやから、はよでろよ!
って話ですもんね。

ま、これと似たような感じでね。
自己紹介の場面で、
「いや、自己というものは存在しません!」
って言ってるんだとしたら、これもまたマヌケですよね。

演じ方の話と事実の話は全く別物ですよね。

つまりね。
冒頭のサッカーの話じゃないですが、
僕らはボールを手で持つことはできるじゃないですか。

でもサッカーをやってる間は、手を使うのは反則なので、
掴まないようにしますよね。

なぜなら、サッカーをやってるからです。
でも、ボールを手で持つことができるのは知ってるじゃないですか。

これと似ていて、
自己紹介なら、ちゃんと名前を名乗るんです。
だって、自己紹介をやっているんですからね。

でも、自己というものも名前というものもいわゆる空想のラベルのようなものだということは、当たり前に知ってるよね。
ってことなんです。

私はいないとか、誰もいないをやろうとすることじゃないんです。
これをやろうとするなら、これもまた、何かしらのルールに則ったゲームになっちゃいます。
ゲームは幻想のルールの上で成り立っているものですよね。

私はいないをルール化して、それをやるのなら、それはサッカーをやってるのと同じなんです。
誰もいないも同様です。
それをやろうとするのは、まるでそれを演じているのと一緒ですよね。

この話は演じ方の話じゃなく、事実の話であって、それ以上でもそれ以下でも無いんです。

 

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