Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

勝手にやって来る思考をとめて、ぼ〜っとしてみよう

はじめに

よいしょっ!
おはようございます。
タクさんです。

僕は学生の頃、ものすごーく
ぼ〜っとするのが得意だったんですよ。

まじで一時間以上ぼ〜っとすることができるのが自慢です。

大学時代なんかは、とにかく暇だったのでねぇ〜。
やること無いから、ぼ~っとしようってなもんで、
よくぼ〜っとしてました。

今もヒマを見つけてはぼ〜っとしています。
ま、勝手にぼ〜っとしちゃうんですけどね。

なので、今日は、ぼ〜っとするコツについて書いてみたいと思います。

ぼ〜っとするのってね。
特に情報社会の今こそ大事なことだと思うんですよね。

僕らは情報に溺れて、今を見失っちゃっていたりするんですよね。
そして知らず知らずのうちに疲れちゃったりしてるんです。

そんな今を取り戻すためにも、
ぼ〜っとするのはとっても役立ちます。

 

不気味の谷

さてさて。
ちょっと話は変わりますが、
不気味の谷っていう言葉をご存知ですか?

リアルな人のCGやロボットって最近よくあるじゃないですか。

そういったロボットが、普通の人とちょっと違うって感じたりしません?

よく出来ているんだけど、なんかちょっと不気味な感じがするんですよね。

この不気味な感じがなかなかクリアできなくて、
リアルな人型ロボットが、生身の人間っぽさに近づけない谷になっていることを不気味の谷と言ったりします。

この不気味の谷になっている要因は色々と挙げられているんですが、
僕は、ロボットの目が死んでいるように感じるのも不気味の谷の大きな一因になってるんじゃないかな〜って思うんです。

なんか、ロボットの目って、瞬きはするんですけど、瞳が一定で動かないのが多いんですよね。
これがちょっと不気味に感じたりするんです。

人ってね。
喋っているときは、結構身振り手振りをしたり、首を傾げたり、表情をかえたりと、
結構忙しく動き回っているんですが、瞳もかなりぐるぐると動いているんです。

なにか考えているときは上を見たり、隠し事があるときなんかは下を見たり、
あとは瞳孔が開いたり閉じたりしてね。

目は口ほどに物を言う。なんていいますが、実際に僕らのコミュニケーションのほとんどは、会話以上にそういった瞳の動きや表情や体の姿勢なんかでも情報のやり取りをしているんです。

それがないことが不気味に感じさせる一つの要因になっていると思うんです。

思考と目の動き

特に目の動きは思考と密接につながっていたりするんです。

ですのでね。この目の動きを封じること。
これが実は、ぼ〜っとするコツにもつながるんですよね。

ほら。
ぼ〜っとしてるときって、あまり何も考えてないじゃないですか。
なので、思考を遮断するのが、ぼ〜っとするコツなんです。

思考って、意識的にするものならやらなきゃいいだけなので簡単なんですが、
きっとみんなが困ってるのは、勝手にやって来る思考の方だと思うんです。

こればっかりは、自分がやってるんじゃないので
勝手にやってきて、スキを突かれてついつい考えに取り込まれちゃう。
ってことも多いと思います。

そういうときって、ぼ〜っとしているようで出来ていないんです。

なので、勝手にやって来る思考を遮断する!というのが
ぼ〜っとする極意なんです。

ぼ~っとする極意

思考を遮断するにはどうしたらいいのか?といいますと、
思考の動きと目の動きは連動しているので、この目の動きをガッと止めちゃうと、
勝手に起こってくる思考がなくなるんですよね。
シーンって感じです。
なので、どこを見るでもなく、目の動きを止めるんです。

コツとしては、立体視の絵をみるような感じですかね。

変な模様があるやつを見ると立体の絵が浮き上がるってやつです。

あれをやってる感じで目の動きを止めちゃうんです。
あまり目を見開いていると、しんどいので半目くらいが丁度いいかもしれませんね。

仏像の感じにするとちょっと楽ですよ。

ここで、やっちゃいがちなのは、思考が収まったのかを思考で確認しようとすることですね。
それだと意味がないので、収まったかどうかを思考で気にしないことです。

スーッと身体から力が抜けていく感じがするなら、思考が収まっているということです。
あとは、この力の抜けた楽な感覚に委ねてみるといいですよん。

さあ、レッツ!ぼ〜っとライフ!

 

 

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