Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは留まったことなんて無い

はじめに

はーいみなさん。
おはようございます。
タクさんです。

みなさんは新幹線に乗ったりしますか?
僕はねぇ。最近はコロナの影響もあってかあまり乗らないんですけどね〜。
でも、普段は結構乗るんですよ。

そんな新幹線でのお気に入りは風景を見ることです。
なので、席はなるべく窓側を選びます。

でね。
この風景ですが、普通に見てたら、さーって流れていきますよね。
なので、例えば、あ!ワシが通ってた学校が見えたっ!
って思っても、それってすぐに過ぎ去ってしまうのでずっと見ていることってできません。

風景は常に変わっちゃいますからね〜。

なので、風景は移り変わっていく様子をなんとなーく観ることはできるんですけど、
なにか固定されたものをずーっと見ようとすると、それは観ることができないんですよね。

だから、目にイメージを焼き付けて、あとは記憶を頼りにイメージするしか無いって事になるわけです。

でね。
その記憶のイメージを脳内で見ている間にも、目の前の風景はずーっと流れ続けているんです。

 

風景は留まらず、常に新しい

この新幹線から見る風景っていうのがねー。
なんとなーく、目の前の真実にも似ている気がします。

目の前の真実って留まっていないんですよね。
すごい速さで起こっては消えていっているんです。

だから、捉えることはできないんです。

新幹線の風景どころじゃありません。
もっとすごいスピードで移り変わるので、捉えようがないんです。

みなさんも、試しに、今この瞬間を捉えようとしてみてください。
一瞬でこの瞬間は過ぎ去っていくでしょう?

「今っ!」
って叫んだところで、もうその今はどこにもありませんよね。

これがね。
今は思考では捉えることができない。
それどころか、どんなものも取っておくことはできないってことなんですよね〜。

思考ちゃんは動きを捉えられない

今を捉えることは出来ないということは、
つまり、思考ちゃんは動きを捉えられないってことでもあるんです。
捉えようとした時点で、動きはもう変化しちゃっていますからね。
だから、思考ちゃんは動きを別のものに変換するんです。
まるで写真に写し取るかのようにしてね。

それで、今を捉えているような気になっているんです。

そうやって、何かしらの動きを止めて捉えて、それを状態と呼んだりしているんですが、
これを真実だと錯覚するせいで、この状態がずっと続いていく。
といったような錯覚も同時にしているんですよね。

捉えられないものはもう捉えない

そうやって、
「ああ、自分は何も変わっていない」
「何も進歩していない」
「この状態がずっと続くと思うとぞっとする」
なんてね〜。
あれこれと悩むわけですが、
実はそんなときも、風景が変わり続けているのと同様に、
目の前の真実も常に移り変わり続けているんです。

思考で捉えられないものを捉えようとしても無理なので、
捉えようっていうこだわりはちょっと置いておいて、
今まさに移り変わっていく感覚を解釈なしにただ感じてみたら良いんです。
すると僕らはこの移り変わりと一体になれるんですよね。

僕らはどこかに留まったことなんて無いんです。
そもそも、地球だって時速1500kmものスピードで回り続けているんですからね。
新幹線どころの話じゃないですよね。

 

 

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