Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生の味わいと「私」は一つのものなんです。

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

エンターテイメント。
略してエンタメなんですが、このエンタメって日本語に訳すと、「娯楽」となってしまっているんですけどね。
この「娯楽」と訳されることで、ちょっと本来の意味合いから離れてしまっているような気もするんですよね。

「娯楽」という意味は楽しみはもちろんなんですが、仕事の息抜き、疲れを癒すみたいな意味合いが少し含まれているような気がします。

そして、あくまでメインは仕事、ちょっとした休憩が娯楽といったような意味合いも含まれているような気がするんですよねー。

ちょっと一段下げたメインではなく、サブみたいな感じですね。

ですが、本来の「エンタメ」には、「おもてなし」という意味合いが含まれてるんですよ。

おもてなしだと、エンタメを楽しむ側は、おもてなしを受ける側なんですよね。
そこには、エンターテイナーへのリスペクトも含まれていますし、エンタメ全体にもリスペクトが感じられます。

つまりエンタメとは「楽しいおもてなし」みたいな感じですかねー。

だとしたら、あらゆる仕事もエンタメですよね。
そして、僕らはみな、エンターテイナーだというわけです。

楽しさのおもてなしですのでね。
あらゆる仕事も、楽しさをおもてなしする感じで向き合えたら良いですよねー。


・おもてなしを受けているのが人生

そうなりますと、やっぱり人生もエンタメだと思うんですよ。
しかも、僕らはおもてなしをされる側です。

だから、目一杯この楽しみを受け取り味わえば良いんです。

でね。
「あーなりたい!こうなりたい!」
みたいな思いってのも出てくるものなんですが、

きっとこの思いには二種類あって、
純粋に魂の震えかのような望みとして出てくるものと、
現状から逃げたいという思いから出てくるものの二種類あるんじゃないかなー?
って思うんですよね。

最初の望みであれば、
きっとそのうちそれに沿ったおもてなしが出てくるのでしょうから、やれることだけやってあとは待っていれば良いですし、
二つ目の「逃げたい」というのは、このおもてなしは良くない!という思いからきているからかと思います。

いずれにしても、おもてなしに、良くないものはありませんし、良い・悪いのどちらかですらありません。

それは、お好きに味付けしてどうぞ!
って感じですのでね。

ただ、味付けしなくても、そのまんまでとても美味しくできてますので、味付けなしで味わってみるのも一興です。

・ただ味わってみる

せっかくのおもてなしですのでね。
そこにあれこれと文句を言っていると、結局それは自分の味付けにすぎず、
味付け方法にばっかりこだわってしまう。
なんてことになっちゃうと、ちょっと本末転倒ですのでねー。

そうなってきたら、一旦味付けせず、生のまんまで味わってみればいいですよ。
それにかなうものなんてないですから。

とまあ、
お話が比喩表現ばかりになってしまって、
「じゃあ一体どうしたら良いのよー!」
ってなっちゃう方もおられるかもしれませんが、

まずはひとまず、あらゆる自分を愛でてあげてください。
その「愛で」がちゃんと伝わったならな、どんな自分もそれでよし!という事実が明るみに出てきます。

そうなると、おもてなしへの文句も収まってきてくれます。
あとは、ただリラックスして味わえば良いんです。

ただ、ココに在るだけで勝手に味わえます。
まずは五感を通して味わってみれば良いんです。

そのうち、この味わいと私は一つのものだ!
という真実が、きっと目覚めてきてくれますよ。

 

 

 

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