なんていうか、やっぱり少子化なんですかねー。
僕が子供の頃に比べたら、断然街に子供が少ないな〜って思います。
今の子供たちは、あまり街で同年代の人とすれ違う。
なんてことはあまりなかったりするんじゃなかろうか?
なんて思ったりもします。
さて、僕らが小学生の頃は、もうケンタウロスのように体と一体化してるんじゃなかろうか?
ってなくらい、常に自転車に乗っていました。
どこへいくにも自転車。
とりあえず自転車に乗ってウロウロする。
目的がなくても自転車!
って感じでしたもんね〜。
でね。自転車に乗ってると同じ年頃の少年ともしょっちゅう道ですれ違うんですよね。
そんな時、結構みんなやたらと、手放し運転したがる。
っていう風潮があったんですよね〜。
「俺、両手放し運転でも余裕なんやでっ!」
ってな心理戦が繰り広げられるわけです。
まあ、そのせいで盛大に転ぶこともあったんですけどねー。
僕も全盛期は、手放し運転しながらカーブを曲がる!
という最難関技を駆使して、ドヤ顔をしておりました。
みなさん、素敵なバイシコーライフをお過ごしでしょうか?
今日の目次です。
今にあるのはとっても不安定に感じる
さて、僕らはどうしてもそのまんまの今に在ることに不安定さを感じちゃうんですよね。
不安ってイメージですからね。
いくらでも大量生産できるんですよ。
雨が降ったらどうしよう?
もしかしたら地震が在るかも?
今出かけたら事故に遭う必要がある。
挙げ句の果てには、天が落ちてくるかも知れない。
ってね。
実際にはないものを、あたかも本当に起こりそうなこととして大量生産できてしまうんですよね。
不安定さは優先される
そして僕らは、不安定さがあるとやっぱり落ち着きません。
今に落ち着く。リラックスしましょう。とか言われても、
不安定さがあるから無理!ってなってしまうんですねー。
なので、僕らはついついまずは不安定さを解消しておこうとするんですよね。
そして不安定なことを解消すること。
これが喫緊の課題になっちゃうんです。
不安定さを解消することに注目するときりがない
不安定さ。これは不安となります。
そして、不安は無限に作ることができます。
逆にこの不安を消すには納得できる仮説が必要となるんですが、この納得できる仮説というものは、限界があるんですよね。
不安の方は無尽蔵にいくらでも作ることができ、解消法には限界がある。
となりますと、もう不安定さに注目すればするほど、不安は多くなるのは当然なんですねー。
これね。
逆にいうと、不安なことはあって当たり前とも言えるんですよね。
ポンと手を叩いて今にある
不安定なこと。これはあって当たり前なんです。
仕組み上、僕らは色々なイメージを作り上げる能力がある限り、不安定さは消えなくて当然なんです。
だからねー。もうそれでいいんですよね。
そのまんま、わからんままに在ってみたらいいんです。
ポンってね。
手を叩いてみたらいいんです。
そして、わからんままに在ってみるんです。
今にあるとは不安定さの受け入れ
今は不安定である。
もうこれは致し方のないことです。
もちろん、ホントはそうじゃないんですが、そう見えるなら、そうなんです。
そして、不安定であること。こっちの方が自然なんですね。
その不安定さをそのままにしておくということ
これがわからんままにあるということなんです。
まさに、両手を離して自転車を運転するような感覚です。
最初は不安定さに落ち着かないかも知れませんが、
実は自分は行為者じゃありませんのでね。
自転車は自分がハンドルを切っているわけじゃないんです。
この不安定さが受け入れられる時、もともと自分が運転をしているのではなかったことを知るんです。
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