Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

市場価値と人間的価値を混同すな!というお話

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんは、ご自身の価値について
どう感じてらっしゃいますでしょうか?

私には、こういう価値がある。
私は、価値がない。。。

とまあ、色々と思ったりしますよね。

でも、「あなたの価値は?」なんて聞かれたら
ちょっとドキッとしてしまったりもしますよね〜。

特に昨今は、時代の流れが早いですからね。
昔みたいに、あまり流れが変わらない時代であれば、
老人の知恵なんてのも役に立ったりしますし、
長年の経験というのも役立つものだったりするんですが、
こうも流れが早いとねぇ。

いろんなスキルも途端に陳腐になってしまったりして、
経験も役に立たなくなってしまい、この自分の経験にこだわるほど
老害扱いされちゃったりして、ほんと世知辛いもんです。

僕も広告制作をやってるんですが、僕がデザインを始めたときってねぇ。
ちょうど手作業からパソコンへの移行期だったんですよね〜。

いや、マジで文字を紙に焼いて、それをチョキチョキと切って、
セルみたいなシートに貼っていくってのをやってた時代だったんです。
中には1mmの間に何本も線が引けるっていう職人や、雲形定規っていうのを使って、
いろんな曲線が引けるっ職人!なんてのもいたりして、
尊敬されてたりしたんですよ。

それが、今やマウスで線が引けるんでしょ?すごい時代だよ〜。
とか言われていたんですよね。

ですが今は、文字を紙で焼いてくれる写植屋さんもすっかりいなくなり、
写真を色分解して、版下を作ってるれる製版屋さんもなくなっちゃいましたもんね。

ま、そんな流れが早い中、「自分の価値」について悩んじゃう。
ってなこともよくあることなんですよね。

 

ないモノをでっちあげることで起こる苦悩

まあでも、これらってそもそも「自分の価値」じゃありません。
僕ら自身の存在なんてものは、価値で計れるものじゃありませんからねぇ。
なので、そもそも自分の価値なんてのは存在しないものなんです。

「生きてる価値あるの〜?」
なんていう嫌な煽り文句もあったりしますが、

これもねぇ。
なにかを履き違えた勘違い発言なんです。

そもそも生きることに価値の差なんてあるわけないんですよね。

生きるは、経済合理性や市場価値やあらゆる地位なんていうモノサシで計れるようなものでもありませんからねぇ。

でね。
僕らが不幸になる原因がね。

そもそもはかるようなものでもないし、はかれるはずもないものにたいしてはかろうとする。
という事があるんです。

市場価値と人間的価値との混同

その最たるものが、自分の人間的価値と市場価値を混同するということです。

ゲーム内のキャラクターが持ってるアイテムなんてね。
そのゲーム内でしか通用しないただのデータじゃないですか。
データだから実物が存在するわけでもありません。

ロトの剣だって、実在しませんもんねぇ。

いわゆる市場価値だとか社会的地位だとか、そういうものもね。
ゲーム内アイテムのようなものであって、
決して、人間的価値をはかるものじゃないんです。

そもそも人間的価値なんてものは、はかれません。
なぜなら、そもそも計測という概念は人が作った幻想ですからね。

自分が作った幻想ストーリーが、自分を超えることなんてありえないんです。

これって、自分が自分に食われるなんてことがないのと同じようなものなんです。
これって

市場価値や社会的地位みたいなものと、自分の人間的価値を混同しちゃうのは
幻想に騙されているようなものなんです。

 

 

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