Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

価値とは無価値である

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
ダイヤモンドはお好きでしょうか?
あれってねぇ。
原料は炭素なんですよね。

炭素をギューッと圧縮したらダイヤモンドになるというわけですね〜。

でね。
このダイヤモンドって地球の内側には結構溢れかえっておるらしいんです。

ま、そらそうですよね。
地球の内側といえば、圧力が強いし、炭素は地球上のあらゆるところに溢れかえってますからねぇ。
ダイヤモンドだって、溢れかえっていてもおかしくありません。

なのでね。
ダイヤモンドというのは、地球にある石の中では、かなり平凡な部類になるんですよね。
ただ、地表には今の所あまりたくさん出てきていないというわけですな。

ま、もう人工的に炭素をギューッとして作れるらしいのでね。
それでいいじゃんって思ったりもしますが、いちおう、人間界の全てではないですが、一応大部分では、ダイアモンドは価値あるものと言うことになっているんです。

ちなみに、ネコからしたら、価値のないただの石ころに過ぎないわけですね。

こう書いていると、猫に小判ということわざについても、本当の価値を分かっているのは、はたして、人間なのか?というのが疑わしく思えちゃいますよね。

価値のなさを知っているネコのほうが分かっているんじゃないだろうか?
ってね〜。

これは、馬の耳に念仏ということわざでも同様のことを感じたりしちゃいますね。

 

無価値感による悩み

さてさて、そこそこいただくご相談でね。
自分に対する無価値感について悩んでいる。
っていう相談があるんですよね〜。

中年の危機といわれるものとも通じるものがあるのかもしれません。

自分というものに対して、無価値感を感じてしまうと、
自分にとっては大いなる危機ですのでね。

そりゃー、自分ちゃんはここで大きな危機感を発してしまいます。
そして、その危機感の反応に僕らは苦しんでしまうんですよね。

だって、この危機感は、目の前に野生のくまが現れたのと同じ様な反応ですからねぇ。
怖いんですよ。
しかも、イメージは常に頭の中で巡ってきますから、逃げようがないんです。

ま、そりゃーしんどいですよね。

演出される危機感

このイメージによって演出される危機感は、事実ではありません。
だって、目の前では普段と変わらない平和な風景が広がっているわけですから。

でも、この危機感の演出によって、僕らは目の前の世界がグレーになってしまったりしているわけです。

もうどうしたら良いんだよ!って話なんですが、
このイメージの演出がなされる嘘さを見抜かない限りは、
結構ダマされ続けてしまうんですよね〜。

ま、基本、イメージによって演出される危機感は嘘ですのでね。
まずは、そうなったなら、
「あれ?いま私は、どのようなウソにダマサれてるんだろう?」
って思ったほうが良いんですよね〜。

価値とは無価値である

そして、価値という概念は、人をダマす最たるものと言えるかもしれません。

そもそもね。価値というのは単なる概念でしかありません。
実際には、価値なんてものは無いんですよ。

つまり、価値とは無価値なんです。

価値というのは、ぬり絵のようなものでね。
好きにぬってやればいいものなんですよね。
そうやって好きな色で彩れば、それで良いものなんです。

価値について悩むようなことは無いんですよね〜。

ファッションって時代によって変わりますよね。
価値もそれと一緒なんです。ファッションなんです。

だからこそ、価値観というものも時代によって変わるわけです。

なので、無価値感で悩むっていうのはね。
もしかしたら、大いなる勘違いをしているということなんです。

 

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