Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【魔境の話】あなたは、あなたのまんまで良いというシンプルな事実

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕は、ふるさとの京都から上京してはや20年以上経つわけですが、
東京ってね。
車いらんのですよ。まー、あればあるで良いかもしれませんけどね。
でもなきゃないで、どこにいても大体すぐに何かしらの電車の駅はありますし、
電車は5分も待てば大体、次の電車が来てくれますしね〜。

だから、車がなくてもまーイケるんですよね。

しかも車を乗るにも、駐車場がクソ高いんですよ。御存知の通り。
地方出身の僕からすれば、
「それ、家賃やないかいっ!」
って言いたくなるほど高かったりしますからね〜。

だから、上京してから20年ほどずーっと車は持たずにいたので、車の運転をしてなかったんです。
京都にいるときは、もう草履がわり位の感覚で乗り回していたんですけどね。

でも今はちょっと、都心からちょいと離れた郊外に移り住みまして、
家にも、車種がよくわからない車がありましてね。

乗らないともったいないということで、久しぶりに乗ってみたんですが、
ま、京都で思いっきり乗り回していたおかげなのか、全く不自由なく乗ることができました。

これで、今後は休日ドライブを安全運転第一!で、楽しみたいな〜って思います。

皆さんはどのようなドライブ日和をお楽しみでしょうか??

 

悟りは状態ではない

さて、話は変わりますが、

よくね。
瞑想とか悟りの状態をずっと保つことが大事である。
何かしらの気づきなり体験なりがあると、
この状態をずっと保つことが出来るようになる。

みたいなね。

そんなふうに思っておられる方もおられるかもしれません。

ですが、悟りはそもそも状態ではないんですよね。

たしかにね。
いわゆるナントカ体験なんぞが起こると、たしかにそういう状態が暫く続くこともあったりします。

ちなみに、僕もそういう体験があって、しばらくの間、そういう状態が続いたこともあったりして、人生観もひっくり返って、今後もこの状態がずっと続くんだ〜!ってな錯覚にハマったこともあります。
また、みえないものがみえたりして、これがそうか〜!なんて錯覚をしたこともあります。
これが、霊的覚醒かー!なーんて言っちゃったりしてね。

でもこれは、状態の話じゃないんですよね〜。
状態を掴んだ時点で、トゲを抜いて新たなトゲを刺してるだけなんです。
状態ってのは、真っ先に手放して、放り投げて、捨ててやらなきゃならないものだったりするんです。
この状態に甘んじてると、いずれこの状態が消えたときに、また不毛な探求に入らなきゃならなくなったりしますし、状態への執着っていうのも出てきたりするんです。

そしてここで変にこじらせてしまうと、これまた妙なスピ系に走ってしまったりね。

あ、別にスピ系ディスじゃないですよ!
スピを楽しむのは大賛成です。

でも楽しむじゃなくて、変に自我の肥大の材料にしちゃって、そのせいで変なお荷物を抱えてしまうってパターンも数多くみたり体験したりしましたのでね〜。
ここは、一応の注意喚起ということで。

これは、いわゆる魔境と呼ばれる現象で、
「瞑想中にブッダを見たならそれを突き殺せ!仏を見たなら仏を殺せ!」って言われている所以でもあるんです。

あなたは、あなたのまんまで良いというシンプルな事実

まあともかく、この話は、今とは違う何かしらの体験を得て、自分が強化される。
って言うこととはちょっと違うんですよね。
それは単なる自我の肥大でしかありません。

ただ、そんな錯覚が途中であらわれることはよくあることではあるんです。

それよりは、自分ってどんな姿かたちであっても、自分がどんなものであっても、
完全完璧に許されているっていう事実を知るってことがオススメです。

なぜなら、私というものは、その時の思考によって都度作られているものだからなんです。

ただ、変な話なんですが、この気付きは、自分へのこだわり、いわゆる執着があると変にこじらせてしまうんです。

自分が強化されるっていう錯覚もまた、この執着から生まれるものですからね〜。

あなたは、あなたのまんまで良いんです。
これは決してなぐさめの言葉ではありません。
とってもシンプルな事実を言ってるだけなんです。