Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

深刻さが醸し出す演出に負けないでね

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

水曜日のダウンタウンでのお気に入りは、
ほんとドッキリです。

このほんとドッキリとはどういうことかといいますと、
芸人さんに、記者が来まして、
旅先でこういう遊びをしてましたよね。これは次の雑誌に出ます。
って言うところから始まるんですが、
それを聞いた芸人は、結構凹むわけです。

ですが、そのうち、変なところにバレバレのカメラがおいてあるところで、
わざとらしい打ち合わせがあったり、
知り合いに、誘われた居酒屋での会話やシチュエーションもわざとらしかったりして、

「あ、これドッキリか!」

と思わせたところで、
ホント!という看板を持ったスタッフがやってくる!

っていうやつですね。

実際に、旅先で遊んでたのもホントで、それが雑誌に出るというのもホント。

というドッキリ?です。

こんなのに引っかかったなら、
もう、何が嘘で何がホントか?わけがわからなくなっちゃいますよね。

 

ウソとホント

僕らというか、思考ちゃんはウソには価値がなく、真実にこそ価値がある!
っていうね。
そういう信念を持っております。

だからこそ、本当の真理を知りたくなるわけですし、
そういうことを探求しようとするわけですね。

変なことが起こっても、これが夢であるなら、
「なーんだ。夢か」
となりますし、

「いたーい!夢じゃなーい!」
ってなもんで、夢じゃなかったなら
とたんに深刻になっちゃうわけです。

そしてこの深刻さ度合いが深いと苦悩に発展するということなんですね〜。

深刻さとは緊張感

深刻さとは緊張感でもあります。
この緊張感はリアリティによって担保されております。
では、この緊張感のリアリティとは何か?というと
身体の反応なんですね〜。

身体の反応があるから、リアルな深刻さとして感じられるわけです。

思考はあくまでも深刻さそのものでは無いんです。

だから、思考に良いも悪いも無いんですね。

身体の反応が、なにか悪いことが襲ってきていると反応しているというわけです。

良いも悪いも演出にすぎない

ですが、この悪いことというのは、目の前に起こってない。
というのが、ほとんどなんですよね。
もし、目の前からやべーやつが襲ってきているのなら、
もう、脱兎のごとく逃げればいいんですが、
ほとんどの場合は、そんなことは起こっておらず、
思考のイメージの中だけで、それが起こっているように感じているだけなんです。

それは、夢のようなものなんですね〜。

ですが僕らは、記憶の中にいろんな深刻さのタネというものを持っているんです。
そして、このタネが刺激されたとき、深刻さが芽吹き、
どんどんと思考のイメージを作っていくんですよね。

カラクリをただ眺める。

じゃあどうしたらいいの?
って話なんですが、そういうカラクリなのね。
というのをもう観てあげることしか出来ません。

ただ、実際に目の前にやべーやつがいないということであれば、
誰も襲ってくることはありません。
思考が殴りかかってくるわけでもありません。

だから、丁寧に、そのまんまにしてあげて、
その深刻さが起こることを許してあげることで、
本当に殴りかかってこないことを実感するしか無いんです。

この深刻さのタネはいつかどこかで、聞いたか体験した記憶だったり、
本能的に持っている記憶だったりします。

でも、今は記憶の中にある「いつかどこか」ではありませんのでね。
大丈夫なんです。

それじゃぁイカーン!とやたらと叫ぶ思考ちゃんは、
あくまでもイメージに過ぎません。
この深刻さもまた、自分が作っている演出です。
自分が作った演出で、自分が怖がっているんです。

とはいえね。
深刻さは起こってくるでしょう。
その時に、その理不尽な演出に負けないぞ〜!
って弾き返してやれば、何が出来ることなのか?は見えてきますのでね。
その時は、出来ることだけやれば良いわけです。
負けちゃったなら、それはそれでご愛嬌です。

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