Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

つれづれなるままに生きる

はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさんには今日もきっと良いことある!
ということでね。
今日も今日とてやっていきたいと思っているわけなんですけれども、、、。

僕は昔の本が結構好きでしてね。
なんていうか、昔の本ってねー。
知的でとってもクリエイティブなんですよねー。
僕らは昔から今に至るまで進歩してきたと思ってるじゃないですか。
でもね。
確かにテクノロジー的なものや医学的なことや科学的知識みたいなものについては進歩しているとは思いますが、
知的センスみたいなもの?は特に今と変わりが無いなーって思うんです。
こういうものはもしかしたら進歩するようなものじゃないのかもしれませんね。
それは昔の人の書いた本を読んでいて特にそう思います。
特に文章は、むしろ今よりもセンスがあるような気さえします。
特に、「もののあはれ」といういわゆる情緒的な感覚はむしろ科学的知識によって破壊されてしまっているまであるんじゃないか?と思ったりもします。

さて、
そんな好きな本の一つに、徒然草(つれづれぐさ)という本がございます。
これは兼好法師の随筆として有名ですよね。

内容としては思いつくままにいろんなことが書いてある感じですが、
恋の話や恋愛論も豊富にあったり、人間観察に至っては勝手に人の家に入って覗きをしたり知らないカップルを尾行したりする程の念の入れようで面白いです。

で、全体のテーマとしては、
「未来のことなんて、いくら考えてもわからんものはわからんのだから、今を大切に生きようぜ!」
ってなことがテーマになってるんじゃないかーって思います。

そもそも「つれづれ」という意味が、「あるがままに」という感じなんですよね。

権威や変な教えに固執することなく、
あるがままに、今を大切に生きようぜ!っていうね。

なんかそんな感じの内容なんですよねー。

ちょっと僕も前に読んだのが随分前なので、ほとんど忘れてしまいましたが、また改めて読んでみようかなぁと思います。

 

この世は無常

また、徒然草にはね。
この世は無常である。ということもよく表現されています。

無常とは、この世は常に変化している。
ということですね。
また、この変化しているこの世は全て幻なんだよー。
ということも表現されています。

そして、今に在ることの大切さも説かれていたりします。

無常ってね。もしかしたらちょっとマイナスイメージと言うか、
何をやってもどうせ生まれて死んでいくんだから、、、。
みたいな投げやりなイメージだったり虚無主義的なイメージを感じるかもしれませんが、
無常とはそういうことではありません。

変な観念にこだわらず、今を十分に輝かせよう!
ということですのでね。

あるがままに生きるとは、十分に生きる!ということでして、
虚無主義とはぜんぜん違うんですよね。

つれづれなるままに生きる

つれづれとは、思うがままに〜、みたいな感じですが、
ま、あるがままです。
そして、つれづれなるままに生きるとは、まさにあるがままに生きるってことです。

でもね。
実は僕らが何かしらをする以前に、もうすでにつれづれなるままに生きているんですよねー。

身体もそうだし、思考もそうなんです。

ですが、そんなつれづれに起こる思考の中の一部分として、

「ちゃんとしなきゃ!」
「計画しておかなきゃ!」
「こうなったらどうしよう!」

とかね。
ちゃんとコントロールしなきゃならないっていう思いが起こっているんですよね。

こういった思いもまた、あるがままに起こるべくして起こっているわけです。

そのことに気づくことが、こういったコントロールしなければいけないという思いからの解放になるわけなんですけどね。

これは、コントロールしなくても良くなるし、心配事は苦悩がなくなるということではなくて、そういうのも起こるべくして起こることを知るってことなんですよね。

そして、それを知ることで、なーんていうか、苦は、今まで思ってた苦とはちょっと変わるんです。
そして、ちゃんと、良いことも嫌なことも楽しいことも悲しいことも起こるんです。
それらは全て愛らしいものなんです。

つれづれなるままに、生きて良いんだ〜!っていうことを知るとき、
あ、でもすでにそうやって生きてたんだよな。
ということも知るんですよね。

 

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