Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何にでも正解があるというのは錯覚だよね

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは、テストはお得意でしょうか?
僕はねー。
テストがめっぽう苦手なんですよね。

なので、学校でもテストの成績は散々でしたし、
就活というものも何度かやりましたが、
ペーパーテストが必要な就活も何個かウケた記憶があるのですが、それは全て全滅でした。

面接は結構得意なんですけどねー。

はぁ〜。
にしても、
就活はもうしたくないものですねー。

 

正解と間違いというものがあるという刷り込み

さて。
僕らはみんな子供の頃に
学校というシステムに放り込まれ、
そこで、テスト、テストの日々を送らされますよね。

それを最低でも9年。
高校、大学まで含めると、なんと16年もそういうシステムに放り込まれるわけです。
まだ、右も左も分からない小さな子供のうちからそういうシステムに放り込まれて、大人になるまでそこに入れられるんですからねぇ。

そりゃー。そのシステムが僕らの考え方や人生に多大な影響を与えるのも無理はないですよね。

そして、テストというのは、必ず⚪︎×で評価されるわけです。
なので僕らは、知らないうちに、あらゆる問いには正解と間違いがある。
という考え方を刷り込まれているわけです。

なので、いわゆる日常のあらゆることにも正解と間違いがあるって思い込んじゃうんですよねー。
実際はそんなの無いんですけどね。
でもそう思っちゃうんですよ。

なので、都度僕らは、自分に対して、
「もしかしたら今の行為は間違いじゃないのか?」
って問い続けるわけです。

そして、問われた自分はその度にドキッとして緊張状態を作っちゃうんですよね。

一回確かめてみたらわかりますけど。
人と話した時の表情、会話、自分が行ったこと、言われたこと、その日のタスク消化、、、。
もうありとあらゆることについて、僕らは自分を1日に何回も裁いています。

そしてその度にドキッとしてるわけです。
そんなの続けてたら、疲れちゃうのも当然ですよね。

最適解があるという錯覚

あらゆる問題に最適解があるという錯覚も強く持っていたりしますので、
常にどうしたら正解なんだろうか?
って悩んじゃうんですよねー。

でもねぇ。
ないんですよ。最適解なんて。
だって、どうなるかなんてわからないじゃないですか。

そもそもないんですもん。答えなんて。
あるのは今の在りかただけなんです。

わからんことを悩み始めたら、その悩みは終わることがなく続いちゃいますもんねぇ。
そして、それが続いている間も、ずーっとドキッとしてなきゃならないんです。

ラマナマハリシさんというインドの偉い人がどこかで苦悩の正体について、
「それはただのロープを蛇だと錯覚することだ」
なんてことを言及しているわけですが、
それこそまさに、無いものを脅威と錯覚してドキッとすることなんですよね。

それは、わからないことを恐れるあまりわかろうとすることであり、
裁く必要のない自分を裁き続けることなんです。

とにもかくにも、人生というストーリーはゲームみたいなものですからね。
設定した条件にそぐわずに、失敗したーって思った時には、
もう一回リカバリーしてみれば良いんです。
そして、リカバリーがダメだったら、条件というルールの方をちといじってやれば良いんですよね。

 

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