Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ダラ~ンと緩んで後はお任せ♪

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【はじめに】

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

あー、こっちが良いかな〜?
それともこっちかな〜?

ってね。
ま、生きてりゃいろんなことで迷ったりすることってありますよね。

また、過去に迷ったことに対しても、
やっぱりあのとき、こうしたら良かったのかな?
あれが失敗だったよな〜。

ってな感じでね。
後悔することもあると思います。

僕らは、こういった迷いがあるから悩んじゃったりするんですよね〜。

ま、
とはいえね。
そもそも、どっちが良い、悪いというのはありません。
そして、過去に起こったことは起こるべくして起こったことであって、
あなたの判断が間違っていた!ということでもないんですよね。

だから、後悔というのも必要ないんです。

僕らはちゃんと正解を選ばなければならない!
って思っているから、迷ったりするわけなんですが、
そもそも選択ってしているようでしていないんですよね〜。

ちゃーんと、起こることが起こっているわけです。
解釈は別としてね。

 

【苦は錯覚】

どっちが良いの?という思いが迷いの原点になるわけですが、
さらなる原点として、分離の概念があります。

分離というのは、思考が目の前の世界を捉えるための概念なんですね。
だから思考のストーリーの中には分離がつきものではあるんですが、
ここに自分という概念が加わってくるんですよねー。

そして、この自分が分離に巻き込まれることによって、
あらゆる悩みや迷い。苦というものが錯覚として生じてしまうんです。

悩みや迷い、苦というものは錯覚だということはそういうことなんです。

【本来はどっちでもいい】

迷いというものは、分離を信じないと生じない概念なんですけどね。
この分離の概念というのは、元々ないものなんですが、いつかどこかで教わったり聞いたことなんです。
この分離の概念はあるものじゃなくて、そうみなしているものなんですねー。

だからね。
どっちが正しいんだろう?
どの道を選べばいいんだろう?
っていうのは、結局の所どっちでもいいんですよね。
そして、変に「こうあるべき」に飲まれないようにさえすればね。
ちゃんとなるようになってきます。

ま、こうあるべきに飲まれちゃったとしても、それはそれでまたの機会に
どうすれば良いんだろう?がちゃんとやってくるんですけどね。

ここがお任せのしどころなんですよね〜。

【緩めよう】

どっちでも良い。っていうのはね。
自分を緩めてくれるんです。
どちらが正しいんだろう?正しい方を選ぼうとすればするほど、
心は緊張して凝り固まってしまうんですよね〜。

すると、つかれるばかりか、余計に結果というものにこだわってしまうんです。

どっちでも良いんです。そしてどっちでも良いじゃーんって緩んでいれば、
自然と道は開いていってくれるんです。

凝り固まるとどうしても留まってしまったりするんですけどね〜。

力が入ってるな〜って感じたときは、とりあえず緩んじゃえばいいんです。

 

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