Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は現象である

はじめに

はーい。
どうもです。
タクさんです。

昔、映画が初めて公開されたときの話で、有名なエピソードがあるんですけどね。
1895年、リュミエール兄弟が『ラ・シオタ駅への列車の到着』っていう映画を上映したときのお話しです。

この映画、汽車が画面の奥からどんどん近づいてくるシーンがあるんですけど、それを見た観客たちがびっくりして逃げ出したんです。  

今を生きている僕らからすると「そんなの映像じゃん」って笑っちゃう話なんですけどねー。

当時の人たちにとっては映画そのものが初めての体験だったものですから、いったいぜんたい何が起きてるかわからなくて、本当に汽車が突っ込んでくると勘違いしちゃったというお話しです。

つまるところこれって、映画を現実だと誤認しちゃったってわけですね。
もちろん今の僕らは映画は映画であるということを知っていますし、楽しめるようになっています。映像は映像だって、ちゃんと分かってるから、安心して感動したりドキドキしたりできるんですよねー。

・思考は映画のようなもの

でもね、ここでちょっと思うんです。
僕らって、映画については映画だとわかるようになったけど、思考に関してはどうでしょう?

思考もねー。実際のところは映画のようなものなんです。

僕らの頭の中に浮かぶいろんな考えやイメージ、あれも映画みたいなものでして、現実そのものじゃないんですよね。

でも、僕らはついそれを現実だと思い込んじゃう。
だから混乱したり、不安になったり、余計な苦しみを背負ったりするんだと思うんです。

例えば、「あの人、絶対私のこと嫌ってるな」とか、「これ絶対失敗する」なんて思ったとき。
その思考はただのイメージに過ぎないわけですが、それを本当のことだって信じちゃって、どんどん不安になっちゃったりするんですよねー。

でも、その考えって本当に事実?って冷静に見てみたら、ただ頭の中で浮かんだだけのものかもしれないんです。

・思考は現象である

思考って、結局は現象なんですよね。空に浮かぶ雲みたいなもので、ただそこにあるだけ。
むしろないまである。だってイメージですからねー。

ですので、それを「現象として観る」といいんです。
現象は現象として観るのが当たり前ですからねー。

映画のスクリーンに映ってる映像を、映像として眺めるのと同じように、自分の頭の中で起きてることも、「あ、またこんなこと考えてるな」って映画みたいに眺めてれば良いんです。

そうすると、映画と同じように思考も「楽しむ」ことができるようになるかもしれません。

例えば、すごくドラマチックなストーリーを頭の中で作り上げちゃっても、「面白い話だなあ」って観客みたいな気分で眺めればいいんです。

そうすると、思考に振り回されることが減りますし、そもそも振り回される必要すらない!ってなことに気づきますのでね。毎日がもっと自由に、軽やかになるかもしれませんよー。

 

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