Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

わからんままにあると楽になる

はじめに

はーいどうも!
タクさんです。

みなさんは「死」は怖いですか?
僕はですねぇ。
イタイのが嫌なだけであって、別に「死」は怖くはないです。

自分以外の死は悲しいですけどねー。でも悲しいけど怖いではないかなーって感じです。
また、悲しむのも悪いという気はしていません。

話を戻しますが、
そもそも、死って誰も体験したことがないことなのに、ちょっと怖がりすぎって感じがするんですよねー。

むしろ、赤ん坊が生まれる様子からすると、生まれることの方がよっぽど怖いし大変だったんじゃないか?とも思ったりします。

なんせ、人間の赤ん坊なんて、頭の形を変えてまで産道を通って生まれてきますし、生まれた途端に今までの生命維持装置が全部外されて窒息しかけるんですからねぇ。

そりゃ、泣くわ。。。と納得です。

ただこの生まれるってのも別に「私」が生まれようとして生まれたわけじゃないんですよ。

自分が生まれたことを知るのも、その後数年経った後のことです。
きっとみなさんも、最初から生まれたことを知ってたわけではないと思うんですよね。

つまり、誰かからそう教えられて知ったというのがホントのところじゃないでしょうか?

・生死という錯覚

死への恐怖も、生死という概念を教えられ、その際に死んだら全てが終わる!みたいなことを教わったから怖いと感じているのかもしれませんねー。

そもそも、死んだら全てが終わるってのも、ただそう思い込んでいるだけであって、誰も体験したわけじゃないですもんね。

むしろ、死は全てのしがらみからの解放で、始まりの祝福かもしれないのにねー。

まあそもそもなんですけどね。
僕らは生まれようとして生まれたわけでもなく、死んだこともないわけです。

さらにいうと、生と死という概念は元々はもっていなくて、どこかで聞いた話だというわけなんです。

自分で生まれた!という人もいなければ、死んだ体験をした人もいないんですからね。

にもかかわらず、なぜ「死」が怖いのか?ってことなんですが、
これって、むしろ「わからない」から怖いんだと思うんです。

僕らは「わからないこと」を怖がるんですよね。
いわゆるリスク管理というのも、言い換えれば「わからないこと」を管理するということです。

わからないことについては、何かしらの対策を打つことによってリスクを軽減し管理するってことです。

将来病気になるかどうかわからないから保険に入る。
働けなくなるかもしれないから貯金しておく。
みたいな感じですね。

ただ、絶対に避けられないけどわからないというのが「死」ですからねー。
このあたりで怖がってるんだと思います。

・わからんままにあると楽になる

ただ幸いなことに、あらゆることをわかったりわからなかったりする思考って自分がやっているわけじゃないですからねー。
思考ってのは刺激を受けて反応するといった類のものなんじゃないかなーって思ってるんですよ。
触ったら葉っぱをたたむおじぎ草みたいな感じです。
自然発生的に起こっては消えていくものなんです。

ですので、思考がどう反応したとしても、それはそれで良いとして、僕らはただわからないことがあったとしても、それはわからないままにただあってみればいいんですよね。

そして、それって案外簡単にできるんです。
だって、そもそも僕らってなーんにもわからない中で生きているわけですからね。
簡単以前の話だったりするんです。

でね。わからんままにあってみるということが簡単だということがなんていうか身に染みてくると楽になるんです。

わからないということで怖がる必要性がないということがバレてくるんです。

 

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